昨日の「語り部」は、「ガンを病む・最後の語り部」でした。これまで沢山の語り部を務めてきましたが、「これが最後でしょう」の気持ちで望んだ。聞く皆さんは、語り部や一般の人ではなく、平和推進協会の継承課の職員さん達でした。だから引き受けて、熱意をもって語りました。午後2時から、3時30分まで話つづけた。最初は、舞い上がっていたが、後半は、落ち着いて、心の内を語った。初めて話す内容で、自分でも満足した。
★「なぜ17歳の自分は、原爆当日、8月9日に行動しながら、『優越感』『今でいうエリート感覚』になったのか」。その背景には、13歳から15歳まで、脊椎カリエスを病み、病床に釘付けにされた過去。快癒して、歩ける。戦争は激化し、少年工員として働く。当時の考え、思想は「人命軽視」です。人間よりも、精工な四尺旋盤が大事だ。トンネル工場の中で、被爆後、銃に着剣した海軍監視兵に追い出される。それから一人、原爆の丘を歩く自分があった。
★一瞬にして世界が変わった。緑の風景が、燃える黒い木々に変化する。浦島太郎の「玉手箱」から噴き出た「けむり」と一緒だ。
自分が取った行動は、「助けたくない」。私を叩いた先輩工員に、出会った。叩かれた事で仲間が助っ人して、決闘が行なわれる予定だった。その彼が、重傷を受けて、転がっている。「オレの勝ちだ、ざまーみろ」
そこから優越感がふしぎと湧いた。それは語ってはならぬ「心理」だった。ああ、いう体験は、本当に悲しい。語りながら2度泣いた。
★無事に、最後の語り部の務めは終わった。継承課の皆さんは、喜んでくれた。トマの気持ちは、ラクになった。
★いま、主治医と、もう1人の女医さん、看護師さん、記録の看護師さん、4人がかりで回診があった。8時半から寝て、グーッと、夜中の1時半まで、眠る。楽のみの水を飲む。普通ならば、また眠るが、背中が痛んで、何とも言えぬ疲労感に四苦八苦する。主治医に、その旨、伝えた。食欲は無いが、出された食事は食べている。
★【ベッドの上で考える=語り部バンザイ】良かったと思うよ。語り部は、平均年齢、85歳という。もう、しばらく歳月が経てば、居なくなるだろう。継承課の出番がくる。そのお手伝いが出来たのは、嬉しい。
★【昨日の閲覧者数=統計】1553。
お疲れの中ですのに日記更新有り難うございました。
返信削除語り部のお務めお疲れ様でございました。
無事に終わり安堵致しました。
語り部として正直に「優越感」との言葉を出された事に感動致しました。
トマさんがお食事を取っておられ安心致しました。
いよいよお誕生日が近づいて参りましたね。
今日も札幌からお祈りしております。
凄惨な状況下の心理と心情をお聞かせ下さり 語り部お疲れ様です、言葉足りませんがありがとうございました、感謝しお祈りいたします。
返信削除お疲れさまでした。
返信削除どうかこのブログで語り続けてください。
お祈りしています。
今日もブログ更新ありがとうございます。戦争を知らない私達世代にはトマさんのお力は必要です。なんとか、なんとか。とトマさんの事思いながらお祈り致します。
返信削除月並みなコメントは書けません。
返信削除毎日ブログを通じて小崎さんの事を思いつつ
お祈り致します。
渾身の語り部、語りきった様子が伝わってきました。トマさんご自身が満足でき、気持ちが楽になったのが、何よりです。もう大丈夫、きょうから新しいトマさんです。
返信削除更新ありがとうございます。
返信削除全力で体験をお伝えされる姿に感動しました。
神奈川県からお祈りしております。
もう一度、原爆の体験の大切な証言が出来て、とても良かったです。聞かれた皆さんに宝物になると思います。神に感謝。
返信削除あの場面では私も喧嘩相手を見下したかもしれないと思います。
返信削除画面に映るトマさんのお顔は慈愛あふれる良い表情ですね。
神の使徒としてのお顔だと思います。
私もお話が聴きたかったです。
返信削除愛知県瀬戸市からお祈りしております。