病院の最初の建物は、浦上・神学校でした。病院の廊下に、その写真が飾られている。戦争中は、各家庭に、子供が多く、神学校は司祭を夢見る男子が学んでいた。浦上・神学校は、フランシスコ会で、市内には4つの神学校があった。聖母の騎士も、その1つだった。秋の運動会は、4つの神学生たちが競い、賑やかに盛り上がった。聖コルベ館に、当時の日記が残っている。神学校は、軍部によって休校となり、神学生たちの賑やかな声は消えた。
★神学校は、浦上第一病院となる。結核治療の専門病院だった。原爆によって、多大の損傷を受ける。原爆の月の最後の日曜日に、この廃墟になった病院で、ミサが行なわれた。トマは、祈りに参加した。病院に残ったのは、1本の木、タイサンボクの木だった。原爆の生き残りである。確か、トマの思いに記憶されている実話は、この木を植えたのは、神学校時代の修道士・ヨゼフ岩永さんである。トマは、このヨゼフ岩永修道士を今でも顔も姿も覚えている。
★戦後、浦上第一病院は、聖フランシスコ病院となる。そこから、この病院の歴史は始まる。
修道士・ヨゼフ岩永さんは、病院で働き、布教活動に専念した。『聖母の騎士』誌を愛読し、自費で、100冊程購入して、配布・宣教した。その熱意を、トマはよく知っている。その活動は、長年、つづいた。
タイサンボクは、見事な木に成長している。
★人間の生涯も、そうだ、よね。タネを蒔くもの、水をそそぐ愛、それによって成長し、年輪を重ねて行く。
昔になった岩永ヨゼフ修道士のことを、今も覚えて、感心しているトマがいる。木は、それを知っているのか。トマの病室から、タイサンボクの木は見える。いとしいと思う。
★今日の3枚の写真を撮ったのは、看護師主任さんだった。頼んで、撮った。
★昨夜は、8時から、夜中の1時まで、一気に、キューッと眠った。その後、背中の痛みで、眠れない。起きて、背中をさすり、血行をよくする。水を飲み、休んだが、眠れずに朝を迎えた。
★【ベッドの上で考える=今日は、何かが、起こりそう?】病棟の看護師長さんから、部屋を変わります、と言われた。ホスピス病棟に入れるらしい。よかった、と内心、喜んでいる。いよいよ、十字架、カルワリオへの道に入れるのか。主よ、御身と共に歩みます。聖母マリアよ、トマにも、寄り添い給え。
★【昨日の閲覧者数=統計】1605。
更新、ありがとうございました。
返信削除お祈りしています。
トマさんの言葉をいつも励みにしています。タイサンボクは見事な木に成長しましたね。長崎を訪れてみたいです
返信削除心からお祈りします。
この木は原爆を生き残り見事に成長・・・トマ少年と同じですね。きっとこれからの日々も見守ってくれるでしょう。
返信削除歴史を知り、伝えてくださるトマさんの仕事は、
返信削除神さまの技です。
(コメントが反映されにくく、分かれての投稿で失礼いたします)
返信削除そんな神さまの仕事を手伝ってくださる看護主任さんの
お助けに感謝します。
今日も日記更新有り難うございました。
返信削除聖フランスコ病院の歴史、タイザンボク
ヨゼフ岩永修道士様のお話しを感動しながら拝読致しました。
昨夜は痛みお辛らかったのですね
お苦しみお察ししております。
ホスピス病棟でお誕生日をお祝いが出来ますね
私も安心致しました。
今日まで病棟の看護師さん、スタッフの皆様に感謝申し上げます。
今日も札幌からお祈りしております。
歴史を私たちに伝えて下さり有難うございます。人との出会い、つながりを大事に生きて来られ、記憶力の確かさには感服いたします。
返信削除明日は「語り部」としての役目がありますね。今夜は痛みが取り去られ、熟睡されますように、お祈りしております。
明日の充実したお仕事ができますよう、祈ります。心穏やかな朝を迎えられますように。
返信削除タイサンボクもトマさんも長生きです。神に感謝しております。
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