知らない所で、思いもよらない家庭で、コルベ神父を愛慕しつづけた人が居るんですね。また、その心情を受け継ぐ学者の先生も居られるんです。
★大学の先生(教授)が、ホームに私を訪ねて来られた。1冊の本を持っておられる。私が1983年5月に出版した「長崎のコルベ神父」(単行本・初版本)です。
★「長崎のコルベ神父」は、その後、文庫本になり、ページ数が減少したり、「ながさきのコルベ神父」に変わったりしましたが、この単行本が原本です。「よく、その本、ありましたね」「諫早の図書館で見つけました」と喜んでおられる。「いま、コルベ神父さまの事を考えています」と、こんなにも熱心に、コルベ神父に要り込んでおられる先生の喜びをみて、本当に嬉しかった。今日は、先生が、原本を持って喜ぶ姿を見て、幸せな日になった。
★「どうしてコルベ神父を知るようになったのですか」。父親のお母さん(祖母)が、聖母の騎士誌の愛読者だった。月刊「カトリック・グラフ」も見ていたという。私にとっては懐かしいグラフ誌です。祖母は、コルベ神父の列福や、列聖された特集号も見ていた。コルベ神父さまが好きだったようです。
★母親も、コルベ神父さまの生き方に感動していた。「母のテーブルの上に『長崎のコルベ神父』の本があったのです」。そして父も、晩年には、「コルベ神父の生き方はすばらしい」と誉め言葉を述べていた。「その心が、私にも引き継がれたんですね。聖母の騎士の教会や、ルルド、聖コルベ記念館に度々行きました」
★「コルベ神父の、どこに『つながり』を感じますか」。先生は、この問いに答えて、次のように言われた。「平和」に、関わってくる。常々、平和を証しする。戦争の悪、打ち破る力があるなら、愛しか、ない。永井隆博士も研究している。コルベ神父にも惹かれます。
★私は、先生の言葉を聞きながら、アウシュヴィッツの残虐で、過酷な状況を思い出していた。あの場所には憎しみしかない。憎しみ、恨みを、愛で貫いたのがコルベ神父の身代わりの愛だった。
★「死が迫っても、生をまっとうした。まさにコルベ神父の生き方だった。餓死の地下室で」
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