2019年2月22日金曜日

弱い人間も、兄弟の集いで励まされ、チカラを得る、前進できる

人生には、摂理的なワク組が、その人、その人にあると思う。修道者というより、人間として、どう充実して生きるかが、問題だ。
★仲間同志が集るのは、楽しい。本会の、長崎の4つの地区で宣教する修道者たち(神父、修道士)が、2ヶ月に1度、集って交流する。今月は湯江修道院に集合だった。
★長崎、東長崎、湯江、小長井から20人の修道者たちが、先ずは湯江教会での「教会の祈り」を一緒に唱える。祈りから始まった。皆さんは、見詰める方向が一緒だから、すんなりと心は通い、祈りにも力が入る。特に最後の「サルべ・レジナ(聖母賛歌)」を、一同、声を合わせて歌えば、一致の心境になり、何とも言えぬ幸せを感じる。ホームの気持ちから、しばし離れて、修道者仲間と共に過ごせるのは、魚が、水を得た、イキイキとした、元の意識に戻るのを痛感します。
★祈りの後は、会議室で、意見の交換、近況の報告、個人の意見などが交わされた。4つの場所で暮らしていても、お互いに通じ合うものがある。ホーム生活で車椅子の西山神父さんも参加した。皆が心配しているのは、若い働き手の不足です。若い修道志願者が少ない。もっと、祈り働く修道者を増やしたい、それが願いでもある。
★人間は、真、善、美といった理念に真っ直ぐに向かい、それを心地よく思うのは確かだ。心を高く上げ、生き続ける願いがある。ピカ、ピカの靴は、少しでも汚れると、直ぐキレイにしたい。心を清くしたい。告白して、心の潔白を保って生きたい。改心の心がある者は、前に進める。
★しかし人間だ。ある時は、心の底辺で、欲望がうごめく時もある。肉体の叫びだ。肉体の望むことを果たそう、そんな弱さに負けそうになる時もあり得る。心のカットウだ。それが人間の平常だからだ。前者が強いか、後者が強いか。後者が強ければ、この生活は成り立っていく。人間に、二面性があるのは確かだ。
★修道者も弱い存在です。それに打ち勝って生きるには、常に、「祈り」と、この「兄弟的な交わり」、お互いの意識の「つながり」が、前進の大きな「チカラ」になるのは、ホントウだ。だから集りは、ありがたい。
★きょうも、この後、食べて、笑って、飲んで、充分なチカラを得たのだった。

1 件のコメント:

  1. トマさんこんにちは(^^)
    本河内の神父さまたちがおるね〜
    トマさんと会えて羨ましかね〜ってココナが言っておりますよ(^^)

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