後半は、コルベ神父の生き方を語る。何をしに日本へ来たのか?コルベ神父は、とにかく「マリアさま」。けがれなき聖母です。ルルドでも言われた。「我は、けがれなき宿りなり」。マリアを通してイエスへ。これが一番の近か道。農夫が王様に農作物を捧げる時、直接、捧げるよりも、女王様に捧げると、美しい篭に入れて、周りを飾って王様に差し上げる。その方が喜ばれ,、効果がある。マリアさまに、我が身、心、知識、働き、総てを完全に奉献する。自分はマリアさまの道具となる。働かれるのはマリアさま。それが「マリアを通してイエスへ」。その信念を生涯、貫いた。
★修道院では、お互いに「マリア」の挨拶。手紙の初めには「Maria」。各部屋に無原罪の聖母像を安置する。「マリア」で呼吸し、マリアで生きる。日本へ来たのは「ふしぎのメダイ」の普及と、聖母の騎士誌の発行に全力を捧げた。人々をマリアに結びつけ、マリアへ奉献させる。「マリアに結ばれれば、必ず幸せになる」。その願いで、日本での6年間を宣教した。これだけは話したかった。
★神が存在するならば、神の見える働きが有るはず、です。コルベ少年は、町の教会の祭壇で、聖母マリアから白い冠と、赤い冠を見せられた。「どっちが欲しいですか?」「両方、欲しいです」。(コルベ神父の映画「二つの冠」の会場で語った事を繰り返した。死後、戦争後、列福調査。最初は「愛の殉教者」のイメージで列福が盛り上ったが、時代の反応からか反対が起こり、証聖者としての列福に変わる。2つの奇跡が必要とされ、祈りの結果、2つの奇跡が教会から承認された。ヴァチカンの聖ペトロ大聖堂内で、パウロ6世教皇によっての列福式。全聖職者の祭服は「白色」(証聖者)であった。それから11年後、列聖式は、今度は余りにも多くの参加者の為に、聖ペトロ大聖堂の広場で挙行される。ヨハネ・パウロ2世教皇初め全聖職者は「赤色」殉教者の祭服だった。列福式も列聖式も参加する栄誉を得たが、その情景を見て、コルベ少年が見た「2つの冠」は、話々でなく、目に見える形で実現した、と大きな喜びを感じた。(ちなみに列福は証聖者、列聖は殉教者は、コルベ師の他には居ない)
★アウシュヴィッツでのコルベ神父の姿と餓死の地下室。これが実際の部屋で、片隅に木製の便器が置いていた。
★列聖の翌年、ポーランドへ行き、コルベ師のお母さんの墓参りをした。観想修道女会のシスターから、コルベ夫人の信仰心を聞いた。
★またコルベ神父から命を助けられた男性・ガヨビニチェックさんにも3度、面会した。彼は言った。命を助けられた時、「ジンクーエン(ありがとう)と言わなかったのが、一番の残念」と。コルベ師は「安心しなさい、大丈夫だよ」と優しい微笑みを残して、餓死の地下室に入ったという。
★体が病弱だったコルベ師が、17日間の餓死状態を、生き延び得たのは、マリアさまの力、支えによる奇跡だったと信じる。
★コルベ神父が、なぜ、人の為に命を捧げる事が出来たのか。それは、つまらない人のために、どうしようもない人の為に、命を捧げた人が居たからです。それは誰ですか?イエスです。コルベ神父はイエスの道を生きたいと望んでいたからです。イエスに最も近い人、マリアを愛し、完全に奉献した。マリアさまの導きで、コルベ神父はイエスの如く、裸で、我、渇くと言って、人の為に命を捨てる事が出来たのです。コルベ神父の「愛の花びらは、いつまでも枯れることはない」
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