須磨子さん(写真・右側)とのご縁は長い。32年前に、交通事故で亡くなった聖(ひじり)ちゃんの実話を記事にした。「ひっちゃん」と愛称していた。天使のように育ち、4歳で聖書を読む。教会に通って熱心に祈る。その聖ちゃんが、小学2年のとき、学校から自宅マンションに帰り、「ママ、遊びに行ってきていい」と言葉を残して出た。10数分後、「車が、跳ねた」と告げられる。聖ちゃんは、自宅の次の通りの国道で、白い洋服を着たまま、お人形のように倒れていた。傍に呆然と立つ会社員の青年がいた。聖ちゃんは、事故から50分後、全く無傷の姿で神に召された。
★家族は突然、悲しい現実を突き落とされる。母・須磨子さん、ご主人も、悲哀と苦悩のどん底に、もがいた。「赦されない。とても受け入れられない」。怒りと、悔しさ。だが聖ちゃんの声が聞こえる。「パパ、ママ、赦してあげてね」。青年は唯々泣いて許しを請い、うつむく。青年の両親は大粒の涙にむせび泣く。葛藤と苦難の末、聖ちゃんの声を受け入れて、「赦し」を受け入れた。やがて、ご主人は教会で洗礼を受け、「パウロ」となる。青年と、彼の家族との結びつきは、絶えずつづいた。
★5年後、青年は結婚した。須磨子さんは、その祝いの式に参列し祝福した。いつも聖ちゃんが見守ってくれるのを感じる。須磨子さんは「カタリナ聖・文庫」や「基金」を立ち上げ、福祉事業に送金している。聖ちゃんは、恵みの中で生きている。
★「あれから、あの青年は、どうなりましたか?」「もう57,8歳になるでしょう。2人の子供さんが居る。男性と、彼の実家との『つながり』が今もあります。男性からは毎年、年に2回、お花が届く。4月は聖ちゃんの命日で、11月は、聖ちゃんと、私(須磨子)の誕生日です。実家からは収穫した農作物が届いています」
★私、トマ修道士が「苦しみは、神の喜びに、変わる」と言うと、須磨子さんは「喜びでなくて、もっと深い」と返した。須磨子さんは言う。「事故があって、赦す気持ちはない。どっちも選ばれて、立場は違うけれど、恨めない。ある司祭が言われた。『赦すだけでは、いけない』と。本当の平和は、和解です。赦した後に和解がないと、平和が無い。本当の平和は、赦すこと、和解すること、自分と彼の関係は、意識をせずに、和解を重ねていった。彼も、私も、実家の人たちも、平和に到達したと実感しました。対等の和解を育てていた。だから今がある」
★須磨子さんは看護師だが、今は福岡ホスピスの会の代表を務めている。「心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えない」。今の世、受けた傷を「赦す」のは大変難しい。生涯、恨みつづける人もいる。当然だろう。しかし須磨子さんは実際の体験から、深い意味の言葉を私に残した。「苦しみはあったが、赦して、和解してこそ、平和がある」
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