原爆の丘での体験は、余りにも過酷すぎた。焼け野原に化した浦上。夜な夜な、崩壊した浦上天主堂の燃える火を見ながら、泣いた。わが家も、母も燃え、吹き飛ばされ、遺体も見つけなかった。18日、廃墟で生活して、聖母の騎士へ入った。そこには永井隆博士が避難して居た。永井先生は、小神学校(中学校)で、理科を教えてくれた。
★その永井先生が、原爆1周忌の浦上教会・ミサの祈りで、次のような意味を語った。「廃墟になった現実を見極めよう。多くの死者のために祈ろう。彼らは神への『いきにえ』となった。残された我々は、前向きに復興を進めて行こう。苦難を『みせつり』と捕らえて、信仰のうちに生きて行こう」
★突如、ガンを宣告される。苦難に落とされる。この世の中には沢山の苦しみがある。善処しよう。手当てをしよう。しかし人間には限度があり、どうしようもない時がある。その時には「みせつり」として受け止める。信仰は、苦難を「みせつり」として受け入れる。
★(旅に取られた浦上信徒たちは、帰郷した時、天主堂に1つの塔を立てた。それには「神の仕業(しわざ=意志)によって追放された人たちは、浦上に戻った」と記した。その塔は、原爆でも崩れなかった。
★自分は「カトリック信者」であることを感謝しています。人間とは何か?を、はっきりと教える。人間は神から出て、神に帰る存在である。神の愛と命から出た。しかし人間には弱さ、欠点、欲望、罪が有る。清めなければ神の元へは帰れない。そこに絶えざる改心と、悔い改めがある。悔い改めには、祈りと、御聖体と、ゆるしの秘蹟が必要です。
★尊敬する故・中島万利神父さまは、98歳の誕生・祝賀会のとき、私が個人的に聞いた。「人間、どう生きるべきか?」「祈りと、愛と、清さだ。毎日、ロザリオを6本唱えている。ロザリオを唱えると、天国へ行けます、ファチマの聖母のみ言葉だ。愛も出来る。愛は実行してきた。しかし清さが難しい。だから痛悔がある」。99歳で亡くなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿