30年ほど前に、何度か出会った夫妻が、突然、ホームに訪ねてきたら、再会の喜びを強く感じます。
★数日前に電話があった。「26聖人の巡礼で、長崎へ行く。ホームへ面会に行きます。お会い出来ますか?」。電話では、よく覚えない。「面会は出来ますが、ホームは不便な場所にありますよ」「大丈夫です。運転する者が居りますから」。短く電話は切れた。
★電話の事は、気にしないでいたら、午前中に、「3人が面会に見えた」と事務室から連絡があった。「自室でなく、応接室で面会しますから」。玄関で相対する。応接室で、「三原の信徒です」と言われる。「三原と言えば、トマス小崎のご像を立てた、熱心なお医者さんが居りましたね」「私ですよ。阪田です」「えーェ」と、びっくりした。記憶がよみがえり、先生と、奥さんと、しっかり握手した。ご夫妻のお顔をジッーと見ると、確かに面影を見出した。「神父さまが居られましたね」「木村神父さまですね。亡くなられた」。私の中に、急激に当時、お世話になった思いが湧き起こった。阪田先生は、三原に、聖トマス小崎を甦らせた熱心なお医者さんだった。先生の医院も訪ねた。ご夫妻に親切にして戴いた。
★三原は、山陽道にあり、26聖人が護送されて、三原城で1夜を明かした。15歳のトマス小崎少年は、ここで母親へ手紙を書いている。阪田先生ご夫妻は、皆さんに呼びかけて、教会の木村神父さまの支援も受けて、城の跡に、聖トマス小崎の立像を建てた。165cmの像で、素朴な着物を着て、手に紙と筆を持って立っている。坂田先生ご夫妻のご尽力による成果だった。除幕式のとき、私も参加して、今は故人となったパチェコ結城了悟神父の講演もあった。
★思いかけず、阪田先生ご夫妻に会えた事は嬉しく、お恵みだったと心温められた。同行の若い女性は同じ三原の信徒で、レンタカーを借りて、運転して来た。この後、列車で、三原へ帰えられる、と言う。
★聖トマス小崎は父親・聖ミカエル小崎と共に殉教してが、手紙は殉教後、父親の懐から発見されたと伝えられている。「この世は、はかないものですから、パライゾの全き幸福を失わぬよう、努力なさいませ」「人から、どんな迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように」。これが15歳、聖トマス小崎少年の遺言であった。
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