ブリ・ヤン・アロイシイ神父さま(通称・ブリ神父)が自室に来た。ポーランド人の神父。優しくて、愉快な人。本人曰く「タイじゃないよ、ブリだよ」。ホームに近い愛野教会の主任司祭、幼稚園の園長でもある。この度の勲章の推薦人でもあった。ブリ神父さまのお陰で、勲章を戴いた。ブリ神父さまには感謝している。本当は、当方から出向いてお礼に行くはずなのに、神父さま自身が、「イチゴ」と大きな「佐賀みかん」を下げて自室に来てくれた。勲章のお礼は述べたが、神父さまには追加の用件があったのですね。
★今月の半ば過ぎには教会では「四旬節」が始まる。長崎教区では、復活祭の前に、各教会で、「年の黙想会」が行なわれる。早速、ブリ神父さまから、お願いがあった。「今年の愛野教会の黙想会、お話、出来ないか」。2年前にも、愛野教会で黙想会のお話をしている。今度は、「コルベ神父さまのお母さんの話、映画の時、したでしょう。あれ、よかったよ。愛野教会の信徒は映画も見ていない。黙想会で話をしてください」。そう言われれば断ることは出来ないよ。3月の最後の日曜日、枝の主日に、お話をする約束をした。
★ブリ神父さまとは、もう1つの案件を話し合った。コルベ神父から命を助けられた「ガヨビニチェックさん」のインタヴィユーのカセット・テープが聖コルベ館資料室に保管されている。その「ガヨビニチェックさん」の証言(ポーランド語)を聞いて、書き抜きしてみたい、との願いだった。未だに証言は正確に訳されていないので、先ずポーランド語に書き起こす作業が必要です。ブリ神父さまは興味があると言われるので、今月の12日に、一緒に聖コルベ館へ出向いて、テープを聞く約束をした。
★コルベ神父から命を貰った「ガヨビニチェックさん」。アウシュヴィッツ当時は40歳であったが、私が訪ねてテープに収録したのは、1983年8月で、彼が82歳になっていた。89歳の時、91歳の時、3回、面会した。声をテープに収録したが、必ず後世に残す貴重な資料になるだろう。
★ホームに居て、また意義のある仕事が出来たと喜んでいる。まだ、まだ、ガンバラないと、イカンね。
大村の植松教会の紙さき神父さまの言葉にいつも感銘をうけ、そこから、このブログにたどりつきました。
返信削除今は関西にいて、植松教会にも故郷の大村も遠いですが、このブログを読むと、生きる力をもらいます。
小崎さん
返信削除これからも札幌から応援しております!