秋の稲刈りどきです。先日、山のシスターの修道院へ行ったとき、車の中から写真を撮った。「たまらなく、いい風景だなァ」が実感です。実りのとき、収穫のとき、この日を迎えるには、農家の人びとの苦労や心配が多々あったでしょう。
★この地区は、私にとって思い出が深いところです。修練の一番大事な時に、結核になって、25歳、この場所を通って、山の養護施設・修道院で療養をはじめた。よく、この辺は、来ていた所です。36歳まで、11年間も、山で生活しました。懐かしい場所です。
★あの頃の古い記録が、A4ノートに残っているのを引き出してみた。今の人には解らない作家と思うが、「倉田百三」の本や、エックハルトの「離在」を愛読しました。特に、倉田百三の言葉をメモしてある。「人は、罪をつくらずには生きていけない。罪は精神的死を意味する。人間の良心は、罪に耐えない。いかに人間は罪から救われるか。それが必要なのが、懺悔の意識である」。若い心には、ビン、ビン、響きました。
★20代の若い頃に、病気で悩み、罪の意識に迷い、孤独に苦しんだ。しかし絶望はなかった。案外、気楽に、病気・結核にも無頓着であり、施設の少年たちと交わる明るい気持ちで過ごしていた。
★当時は、まだ食料不足で誰もが苦労し、餓えていた。施設に親交のある農家から、新米が収穫されると、修道院の者は夕食に呼ばれて、ご馳走になった。その時は、お寺の坊さまもご一緒した。その時の「お米ご飯」の美味は忘れない。
★一方、施設の少年たちは、ひもじさを、もろに感じた。いま稲刈りをしている写真の農家に忍び込んで、食べ物の盗みを働くのであった。中でも、農家の芋釜(穴を掘って来年の種芋を置いて、ワラで、とんがり帽子型に囲んだ)に手を突っ込んでは、少しづつ盗んだ。次に来た少年が、「これ位なら、いいだろう」と、また盗む。結局、春になって、種イモを植えようと開いて見ると、中は空っぽだった、そんな事件もおこった。
★農家の人が施設に、怒鳴り込んで来た。指導主任のペトロ石橋先生(修道士)は、この少年たちの事情をコンコンと説くと、農家の人は感動し、先生や職員たち、シスターの苦労を察して、食料を大きな袋に入れて、寄付した話題も残っている。昔の人は、情があったと、いま思います。
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