「大きなクツだね」「リッパな、クツじゃないか」。ゼノ修道士さんが愛用したクツたちです。長崎・聖コルベ館資料室に保存されている。「これを使って、日本全国を歩き周ったんだね」。クツが光るというか、ふしぎなチカラを感じた。貧しい人に、神の愛と命を伝えたんだね。大切な遺品です。
★1953年(昭和28年)の、私の手帳日記に、ゼノさんの記事がある。3月3日の項目だ。『火曜日。おひな祭り。朝、ゼノさんが来て言った。「きょう、おひな祭りね。ニホンのお祝い日です、これね。かわいそうの人、貧しい人、ね。お祝い、来ても、何もないです。わたし、こん晩、7時、皆さんを200人あつめて、ズボン、ジャケツ、パン、たくさん、あげます。それで、かわいそうの人のため、何か書いてください。貧しい人たち、ね。食べ物、着物、やるばかり、ダメでしょう。その人、神さまに祈る、これ、しなければ、なりません。これ、教えなければ、なりません」。こう言ってゼノさんは、白髪の美しいヒゲを傾けて、きれいな青い目で私を見た。ゼノさんの心は純粋だ。欲がない。安心できる人だ。私は早速、青い紙に、次のように書いてやった。「(前略)これは私の贈り物ではありません。神さまが、この品物の与え主です。私にではなく、神さまに心からの感謝の祈りをささげてください」
★当時、私は25歳で、結核を病み、修道院の一角で静養していた。私の隣がゼノ修道士の部屋であった。だから良くゼノさんは、私に書き物の頼みに来るのだった。いま、あの頃のことを思えば、よくぞ病気に耐えたな、と人生を感じる。ポーランド人の院長さんは、「司祭になる見込みの体力がないから、退会させるように」と勧めていた。ゼノさんから励まされた覚えはない。ただ「ゼノさんのように働ければ、な」とうらやんだ。私は、まだ生きている。冷たく、あしらわれても、悲観しないことだ。助ける、サマリア人は必ず現われる。
★『トマさんのことば』。お礼文⑨京都、邦子さん。「物言わぬ冊子にやさしく見守られている気がしました。カバンに入れて、小崎さんに守ってもらいます」
秋葉原で開かれていたという写真展には行けず残念だったので、手持ちのゼノさんの写真を見ていました。
返信削除ゼノさんから直接励ましの言葉がなかったとしても、小崎さんのためにも祈っていて下さったと思
ゼノ様は小崎さんの
返信削除神様から与えられていた筆力の賜物ご存じだったのですね。
小崎さんは静養されながら既に働かれておられたのですね。
聖母の騎士のミッションに相応しい方だったのです。
ゼノ様にお会いして見たかったです。