どう、説明したら、いいのだろう。数日まえに、電話があった。「学校のとき、お世話になった、真弓です。いま愛知に住んでいる。諫早に行くので、ホームに『校長先生』を訪ねますからね」「ああ、待っているよ」
★その日が今日だった。山に、私立の小学校・中学校の併設校があった。児童・生徒は合わせて、100人ぐらい。私は、その学校に6年間、校長で勤めていた。その頃、卒業した真弓さん(写真・右)が訪ねて来た。当時、小学校の教師だった池田先生(写真・左)の車で現われた。懐かしい、覚えているよ。でも、顔は変わっているね。ホームの自室でしばらく話しをしたが、池田先生の車で、諫早の「魚荘」へ食事に行った。そのときの写真です。
★私は、真弓さんと、小学校から、中学まで、一緒に学んだ。卒業証書を渡して、送り出した。看護学校に進学した。数えてみると、28年が流れている。
★「どうして訪ねようと思ったの?」「校長先生のことは忘れませんよ」「どんな話しが印象に残っている?」「道徳の話し」「へーェ、そんなこと」「時々、ブログを読んでいます。ビンセント先生(神父)がバイクに乗った写真も見ました」。ビンセント神父からは英語を習った。アメリカ人から英語を学ぶのは珍しい時代だった。とにかく私にとって、6年間の学校生活は楽しい思い出がイッパイだった。小学校の作文で「朝日新聞賞」を取って、上京したこともある。
★特に、あの頃は、朝レンで、女子はバレーボールの練習に打ち込んだ。右の写真の中に、真弓さんも居る。この写真を見手て、真弓さんは喜んだ。少女時代の懐かしい思い出だ。公立の中学校のバレーボールの試合でも臆することなく頑張った。勝つこともあった。
★小学校では池田先生が担任を勤めた。真弓さんは、いまは大学生の娘と、高校生の息子と一緒に生活しているという。看護師の仕事を続けている。
★こうして卒業生が訪ねてくれることは本当に嬉しい慰めです。28年前の真弓に会って、心の臓にチカラが湧いてくるのを覚えた。人間は成長する。今も大事だが、あの頃、あの時代の学びや、鍛錬、正直に生きる思い、先生たちの愛情、消えた思い出に過ぎないかも知れないが、その人の人生にとっては「1つ」しかない大切な宝です。だから、こうして訪ねて来る気持ちにもなるのでしょう。真弓さん、ありがとう。池田先生、ありがとう。
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