長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年2月28日火曜日
入院・余談。いかにして日記を書いたか?
入院中に、毎日、日記を読んでくださって、ありがとう。どうのようにして日記が書けたのか、タネ明かしをしましょう。病室は、ケイタイは使用・禁止です。パソコンは使用・不可能です。病室から幾つかの隣の病室の、その次に、『談話室』があって、そこに電話が(写真の通り)あるのです。一応、内容を考えて、この電話室で、毎朝、電話をかけました。通話の相手さんは、聖コルベ館の、同じ町内の、同じ丁目にお住まいの、親友の奥さんです。「ああ、モシモシ、おはようございます。頼みますね」。それで、ペラペラ、しゃべるわけです。奥さんにはホントウにお世話になりました。(退院後、少々、加筆しました。ごめんなさい)。奥さんも張り切って、協力してくださった。写真は退院後、挿入しました。電話で報告するなんて、海外の通信記者並だったよ。★報告しなかった話が1つある。尿が出ない、苦しんでいた、ある晩、夢の中で、黒塗りの、大型の、後ろに開き戸があるクルマが、バックで近づいて来るんだな。手前に大きな窓枠があって、私が、その窓枠の手前に立ったトタンに、黒塗りのクルマは、「パッと」消えて、無くなった。なんか、ヘンな夢だったよ。
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