2020年11月7日土曜日

誕生会だよ。「出し物」は何んね?「不満」を消す「まとい」や。それッ

月の初めの土曜日は、昼食に、楽しい「誕生会」が行なわれます。
その時、出るのが、職員さんによる「出し物」です。これは、もう何十年とつづく伝統がある。3人から、4人、多い時は、6,7人の割合で、出番が回ってくる。
今月の「出し物」は、火事場で活躍する「まとい」でした。「まとい」は、江戸時代に、町の火消しの各組が用いた旗印です。組を表わす「アタマ」があり、垂れさがる房を回転させる。
「出ータッ」
「め」組だ。「め」組だぜ。「め」組よ。
「ナンの、メ、だ?」
「めぐみ、多い、人生さ」
「めぐまれた、日々さ」
「目の輝やきを、失うな」
踊るよ、オドル。音楽に合わせて踊る。
「火のヨージン」が、真っ先さ。
誕生会だよ。今月のお祝いは、5人。
踊る3人、バラ、バラ、だ。
写真を撮るのが、難しい。
介護する人、洗濯する人。
若いお姉ちゃん、いや、いや、お母さん。
家族的な、面倒を、見てくれる。
若いチカラに支えられた、老人たち。
不満も、温かい心で、消える。
「そうだ、火消し、とは?」
「不満や、落ち込み、消す事や」
生きる事に、意味があり、価値がある。
オシメに始まり、オシメで終わる人生。
それでも「よかった」と言えるのさ。
今日は、楽しい誕生会でした。
★「親切で、優しくて、困っている人を見ると、ほっとけない人です。世の中には、そういう人もいる」

2020年11月6日金曜日

町の文化祭。「書道」でもらった奨励賞。賞状の和紙は、この町の文化紙

デェーンと、構えた建物。威厳あり。
トマが住む高来町の役場です。
この建物を見ると、何やら陸軍の司令部を連想させる。そんな気持ち。
あまりにも建て方が、デカ過ぎる。建てた、すぐの後、諫早市に合併された。哀れ、この建物は「支所」になる。
毎年、文化の日から、町の文化祭が行なわれてきた。ホームからも、「書道」と「絵手紙」を出展している。日頃の、成果だ。
コロナの関係で、展示は小規模となる。
今日、ホームから、展示を見に行った。
あった。書道クラブのコーナーだ。
先生の指導が、いいので、熱が、入る。
ㇳマの字は、我流です。
楽しみながら、筆を運んでいる感じ。
トマの作品に、赤札が付いていた。
「竹下流清泉」。(ちくかに、せいせん、ながる=竹のもと、清らかな泉が、そそぐ)
「特別奨励賞」をいただいた。賞状と、楯(たて)を、有り難く受け取った。

この賞状の「和紙」に値打ちがある。
歴史を辿れば、江戸時代の末期か、佐賀の職人が、この地を通り、水の清さに、ほれて、和紙作りを、伝えた。
川ぞえに、100軒ほどの長屋がつづき、手すきの、変色しにくい、貴重な産業として、栄え、有名となった。戦後、途絶えていたが、また「紙工房」が復活し、活躍している。高来町には、著名な書家が出ている。小・中学生から、書道熱が盛んです。

展示場にある「絵手紙」のコーナーです。トマの絵は、下の、左側に、ある。
思い、思いの、絵を見る楽しさ。
時々の、絵だが、皆さんに見てもらうのは、小さな喜びでもある。生きてーる、の感じだね。有り難いね。「特別奨励賞」は、お情け、だね。もう、3、4回になるね。コロナがなければ、講堂で授賞式が行なわれる。まあ、ホームに生きて、これも楽しみさ。
ライ年の文化祭まで、元気で居りたいね。

2020年11月5日木曜日

出会いは「イノチ」に、つながる。イノチとは、生きる存在。喜びがわく

いつも眺める朝の風景。
毎朝、4時半に起きて、隣の教会へ。
既に、神父さん、修道士さんが居る。
5時半過ぎから、共同で、朝の祈り。
6時から、ミサ。毎朝、同じ。
ミサが終わって、6時半が、この景色。
有明海も、雲仙岳も、変わらない。
雲が、光の変化が、心を魅了する。
「今日も、平穏でありますように」
ここに祈りが、あるような気がする。
 手首のキズも癒えて、入浴した。

★2人の若者が、面会に来た。野々村哲(さとし)さん、塩沢美樹さん。正月に来て以来、10ヶ月ぶり。コロナが私たちを遠ざけていた。
2人に、最初に出会ったのは、ホームに入居して、3ケ月経った頃だった。当時の私の心境は、孤独で、無意味で、生き甲斐を無くしていた。そこへ2人との出会い。それも15秒の出会いだった。
「やあ、こんにちは」
「小崎さんですか」
「そうです」
「ブログ、読んでいます」
「ありがとう、ハイ、アクシュ」。これだけの会話。
★それから春に、便りが来たことで、「つながり」が出来た。度々会うようになる。「トマさんのことば」を出版。無料で、日記の読者さんたちへ送った。次に「ポーランド人修道者たちの写真集」を出版。これも無料で、日記の読者さんたちに配った。「写真集」がきっかけで、長崎市で、写真展が行なわれた。東京のポーランド・フェスチバルでも、「ポーランド人修道者」の写真が展示された。今度は、『こころの時代』の番組です。ポーランド人修道者たちの写真が紹介された。
★出会いは、「イノチ」に、つながる。イノチとは、生きて行く上での活力です。推進力です。「背中を、押される」といっても、いいかな。人生に、この2人のような出会い、「つながり」は、そう多くは起こらないだろう。若者から、チカラを受ける。不思議や、なァと思います。彼らは、私の日記を全部読んで、心に残る「言葉」を抜き出してくれた。それほどの熱意がある。他者に、そんな人って、居りますか。
★「母に、つながる。神に、つながる。愛とは、つながり、なんだよ」

2020年11月4日水曜日

大きな病院の「皮膚科」へ。小さなキズでも、身内、気になる。癒された

予約の「皮膚科」へ。総合病院。
顔に、出来た、「日光角化症」。
6、7か所で、発疹が見られる。
原因は、紫外線とか。
長年、屋外の仕事に多く、顔に出る。
クスリを塗ったのは、9月だった。
1か月、そのままに、しておく。
今日が、診察日だった。
1か所、残して、全部、消えた。
残る1か所に、スプレー噴射で焼く。
「2週間後に、また、焼きます」
診察のついでに、手首も見せた。
ふくらんだ手首が、バクハツして、
1か月も、出血が、つづいた。
お医者さん、丁寧に、診てくれる。
「大丈夫。入浴も、可」
皮膚科・専門医の診断に、納得する。
喜んでください。治りました。
小さなキズと、あなどる、なかれ。
手も、足先も、大事な身内、肢体です。
役目がある、存在価値がある。
しっかり、それを覚えます。
 感謝の祈りを、捧げよう。
★「すてきな、えがお、ですね。もしかして、20代? いや、いや、90代です」

2020年11月3日火曜日

「鬼滅の刃」。老人はワカラン。『はな』ちゃんの塗り絵。成長、楽し


いま、はやりの、「鬼滅の刃」。

テレビで、若者たちが、大騒ぎ。

ホームで暮らすオレらは、知らぬ。

「『はな』が、塗ったのよ」

絵を、喜びの笑顔で、渡した。

「『はな』は、ね。ビデオ、見てる」

ママの、お仕事の、おじいちゃん。

そう言われれば、愛情も、湧くわね。

『はな』ちゃんの成長を見守ってきた。

絵里さん、高卒で、介護職に勤めて、18年。

ホームの教会で、結婚式を挙げた。

翌年、2016年、ひな祭りの日。

『はな』ちゃんが、生まれた。

成長ぶりを、写真で、愛でてきた。

コロナになって、ホームに来れない。

じいちゃん(私のこと)は、さびしいよ。

『はな』ちゃんの塗り絵、うれしいよ。

いつになったら、『はな』に会えるだろう。

★ママ、絵里さんの報告。「今日は、ハナの保育園のお弁当の日です。好物の、マカロニ・サラダを見ると、『お母さん、だんだん、じょうずに、なってきたね』と、おほめの言葉をもらいました。『どこが、じょうずに、なってきてるって思う?』『キュウリの切り方が、ね』と。私は、『キュウリは、塩もみしてるから、型は分からないけどなァ』と、つぶやく。『だいじょうぶ、だよ、お母さん』と、またもや、なぐさめられ、喜んで、お弁当を持って行きました。残らず、食べてくれるかなァ」
★親子の愛情が、あふれている。『はな』は、ママと呼ばず、お母さんと言っているんだ。子供は、日々成長する。『はな』ちゃんの成長の過程で、ホームのおじいちゃんは、どのように発達・理解していくのだろうか。『はな』ちゃんの成長ぶりを、写真で記録している。いつの日か、喜んで、はにかんで、見てくれるだろう。老人に出来ることは、そんなところかな。
 

2020年11月2日月曜日

死者の日を迎えて、親友だった小神学生を偲ぶ。墓標を持つのは私だった

 

死者の日。教会では、両親や家族、知人、友人、恩人、すべての死者のため祈った。
なぜか、小神学生の同級生だった「ヨゼフ雅一」のことを思い出し、祈った。仲のよい親友だったが、肺結核のため、聖母の騎士で逝った。18歳だった。
カシアノ修道士が、温かい看病をつづけた。終戦直後のこと、食料難のなか、それでもバター、チイーズ、卵など、栄養のある食事を準備した。しかし全く食欲がない。食べれない。見舞いに行った我々が、おいしく頂いた。「神学生で死んだ者は、天国で、司祭になるのよ」と、ある母親が言ったが、そうだと思った。
闘病3年、苦しかったであろう。
しかしポーランド人修道士たちから愛された。臨終になった時、彼は、やせ細った両腕を天井へ差し出して、右手で、左腕をこする仕草をしたという。血液が、手の先まで行くようにという、無意識のうちにも生きたい動作だった。そのことを70年が経っても、覚えている。
ヨゼフ雅一の墓標の字は、私が書いた。十字架を持っているのは、私だ。小神学生が、こんなにも多く居た。後方に、修道士たちが連なっている。
進駐軍が置いたジープや、道路に敷く穴あきの鉄板が懐かしい。木造の建物は、洗濯干し場と、パン焼きカマもあった。
★戦争が終わった頃の人の心や態度は、整然とした規律に立たされていたように思う。自由、勝手は、なかった。死者の日に、十字架を持った私の写真を見つけたので、日記に書きました。ヨゼフ雅一は、神のイノチに生きている。そう信じたい。

2020年11月1日日曜日

諸聖人の祭日。聖人になりなさい。長崎・最初の教会は「サントス」です

日曜日。教会では、「諸聖人の祭日」を祝います。
祈りの中で、もろもろの聖人たちに、思いを馳せました。「聖人」と呼ばれない大勢の善良な「いのち」も、神の喜びに入っているでしょう。
人は、神から出て、神のイノチに帰る。そう希望し、生きております。素直に、神の御元へ帰れるか。自分には、汚れがあり、欲があり、このままでは戻れない。
回心と、償いと、清さが求められる。
★「諸聖人への取り次ぎ」は、キリシタン時代にも、盛んだった。
左は、10年前の新聞記事です。今の聖母の騎士から、電車道に降りた付近の最も「古い写真」ですが、「春徳寺遠望」とある。
この春徳寺が、元は、長崎最初のキリシタン教会「トードス・オン・サントス教会」つまり「諸聖人に捧げられた教会」でした。このように中世期から、諸聖人はお祝いされて、親しまれていたのです。切支丹・迫害が起こって、教会は破壊され、お寺になった。
★高山右近も、この教会から、マニラへ向けて出発した。「聖人の道を歩みなさい」「愛する人になりなさい」。度々、言われてきたお勧めです。生かされている限り、希望は持ちたい。
★手首のキズが、早く、落ち着きますように。