「おお、元気か。うどん屋の今井君。忘れんぞ」。私が聖コルベ館に勤めていた、ある年の、大晦日。もう閉館の時、ぎりぎりに、7人の男子の若者たちが見学に飛び込んできた。その中に、19歳の今井君がいた。これが最初の出会いだった。今井君は、言った。
★「高校の奨学金が、108万円残っている。それを今、返そうと「うどん屋」でバン、バン働いて返済しています。身の上を整理し終わったら、修道者になりたいのです」
★若者の希望は、実に、いいね。しかも、奨学金を、ちゃんと整理して、それから入会するという。エライじゃないか。うどん屋で、懸命に働いているという。気に入ったよ。そこから彼を呼ぶときは「うどん屋の今井君」となった。男っぷりも、いいぞ。若い時に感じた気持ちを大切にせよ。「がんばれよ」と、私は、今井君の出会いから、彼を応援したくなった。
★今井君は、身辺を整理して、私たちの修道会に正式に入会した。いま東京の修学院で共同生活をして、司祭への勉強を励んでいる。今度の司祭金祝に、東京からやってきた。いっしょに写真に撮るのが念願だったよ。27歳になる。私たちの修道会では、一番の若手だ。希望があるし、期待しているよ。時々はボクの日記にも載せているから、「今井君のこと」を覚えておられる人も居るでしょう。今井君の将来のため、お祈り下さい。
★それから、もう1人、金祝の祝賀会で、お会いしたのが、ルーマニア人司祭のペトロ・イシトク神父さんです。これも聖コルベ館で出会って、何年もなる。こちらは背丈が、マァ、マァ、イッショ、ということで、気持ちが通じ合っている。2人は仲良しです。ペトロ神父さんは、東京・赤羽教会で宣教しています。
★実際、心情を打ち明ければ、ペトロ神父さんと一緒に、ルーマニアを巡礼するのが、私の願いだった。2人で同じ修道服を着て、一緒にルーマニアを歩けば、似た者同士、何かと話題もなろう。オモシロイ話題も起こるだろう。そんな期待もあったのです。それがホームに入って、実現しなかった。こころ残りだよ。望みは果たせなかったが、出会えば、こうして2人の気持ちは、つながっている。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2019年9月14日土曜日
2019年9月13日金曜日
司祭叙階金祝の集い。思いがけない女性たちとの嬉しい出会い
カトリック司祭は奉仕者。教会を通して、自分の人生をすべて捧げて、奉仕つくす、それが司祭の生き方。50年間つづけるのは何と至難の業か。
★きのうは、長崎・聖母の騎士において、松永正男神父さんの司祭叙階50周年・金祝のお祝いのミサと、祝賀会が行なわれた。家族から離れ、召し出しの道を選んだ。松永神父さんは、ローマで司祭になった年は、社会と、教会に、大きな出来事が起きた年だった、と語った。アポロの月面着陸と、教会では、典礼が大きく変わり、ミサの捧げ方は、信徒に背を向けて祈っていたのが、現在のように対面式となった。また聖書の読み方も、ラテン語であったが、各国語で読めるようになった。大きな転換期。あれから50年、各地の教会で奉仕者として活動され、お疲れさまでした。
★ミサの後、祝賀会がった。ここでトマは、思いがけない女性に出会った。トマは1970年代、「長崎オラショの旅」を主宰し、30数組が参加した。毎度、同じガイド役を務めたのが、写真・右のケイ子さんだった。こちらも50年近くの出会いとなる。「どうして、ここに?」と問えば、松永神父さんから招待状が届いたそうだ。
★左の女性は、「小崎さんですか?オラショの旅でお世話になった者です。懐かしい」と出会いを喜んでくれた。「ああ、この人が、ガイドさんだったのよ」と、3人で写真を撮った。人生、どこで、どいう出会い、再会があるか分かりませんね。聖母の騎士でのお祝いは、こういう出会いがあるから楽しいのです。実りがあるのです。
★きのうは、長崎・聖母の騎士において、松永正男神父さんの司祭叙階50周年・金祝のお祝いのミサと、祝賀会が行なわれた。家族から離れ、召し出しの道を選んだ。松永神父さんは、ローマで司祭になった年は、社会と、教会に、大きな出来事が起きた年だった、と語った。アポロの月面着陸と、教会では、典礼が大きく変わり、ミサの捧げ方は、信徒に背を向けて祈っていたのが、現在のように対面式となった。また聖書の読み方も、ラテン語であったが、各国語で読めるようになった。大きな転換期。あれから50年、各地の教会で奉仕者として活動され、お疲れさまでした。
★ミサの後、祝賀会がった。ここでトマは、思いがけない女性に出会った。トマは1970年代、「長崎オラショの旅」を主宰し、30数組が参加した。毎度、同じガイド役を務めたのが、写真・右のケイ子さんだった。こちらも50年近くの出会いとなる。「どうして、ここに?」と問えば、松永神父さんから招待状が届いたそうだ。
★左の女性は、「小崎さんですか?オラショの旅でお世話になった者です。懐かしい」と出会いを喜んでくれた。「ああ、この人が、ガイドさんだったのよ」と、3人で写真を撮った。人生、どこで、どいう出会い、再会があるか分かりませんね。聖母の騎士でのお祝いは、こういう出会いがあるから楽しいのです。実りがあるのです。
2019年9月12日木曜日
「マリア」み名の記念日。マリアの挨拶。聖コルベ、マリアで呼吸
今朝、ミサの前に、司祭が告げた。「きょうは、マリアさまの、み名の記念日です。私たちは、日ごろ、「イエズス、マリア、ヨゼフ」の、み名を唱えます。マリアの、み名を教えてくれたのは、コルベ神父さまでした。コルベ神父さまは、マリアを呼吸して生きておられた。私たちも、マリアの、み名を呼びましょう。元気が出ます」
★マリアの、み名の信心、記念日は、十六世紀、スペインで始まった。思い出します。昭和の初期の聖母の騎士修道院では、ポーランド人の修道者たちが、お互いが会う毎に、自然に、習慣的に「マリア」と挨拶していた。その「マリア」も、「マァ~リア」と抑揚をつけて言葉を発した。ポーランドのにエポカラヌフ修道院から始まった習慣だった。それが、そのまま「長崎」へ移った。
★コルベ神父は、本当に「マリア」「マリア」と、マリアを呼吸して生きておられた。マリアさまの、み旨を完全に果たすことが目標だった。マリアさまの、み旨は、どこで分かるか。それは長上に従うこと「従順」にある、と信じて実行した。信念に達したから、すばらしい愛の実行に至ったと思う。
★ポーランド人修道者たちが習慣にしていた「マリア」の挨拶は、いつしか、行なわれなくなった。寂しさを感じる。小長井のシスターの修道院では、私を見ると、「マリア」と挨拶するシスターが、まだ居る。マリアで呼吸するのは、忘れたくない。
★きょうは、長崎・聖母の騎士で、1人の司祭の叙階金祝が行なわれる。ミサがあり、お祝いがある。朝、8時半過ぎには出かけます。午後は、遅くなるでしょう。お祝いの様子は、あした、書けるでしょう。
★マリアの、み名の信心、記念日は、十六世紀、スペインで始まった。思い出します。昭和の初期の聖母の騎士修道院では、ポーランド人の修道者たちが、お互いが会う毎に、自然に、習慣的に「マリア」と挨拶していた。その「マリア」も、「マァ~リア」と抑揚をつけて言葉を発した。ポーランドのにエポカラヌフ修道院から始まった習慣だった。それが、そのまま「長崎」へ移った。
★コルベ神父は、本当に「マリア」「マリア」と、マリアを呼吸して生きておられた。マリアさまの、み旨を完全に果たすことが目標だった。マリアさまの、み旨は、どこで分かるか。それは長上に従うこと「従順」にある、と信じて実行した。信念に達したから、すばらしい愛の実行に至ったと思う。
★ポーランド人修道者たちが習慣にしていた「マリア」の挨拶は、いつしか、行なわれなくなった。寂しさを感じる。小長井のシスターの修道院では、私を見ると、「マリア」と挨拶するシスターが、まだ居る。マリアで呼吸するのは、忘れたくない。
★きょうは、長崎・聖母の騎士で、1人の司祭の叙階金祝が行なわれる。ミサがあり、お祝いがある。朝、8時半過ぎには出かけます。午後は、遅くなるでしょう。お祝いの様子は、あした、書けるでしょう。
2019年9月11日水曜日
ホーム聖フランシスコ園。地元のトライアスロン・リレーで頑張る
地元の「ミニ・トライアスロン・リレー大会」。聖フランシスコ園の男子職員も去年から参加している。地元の人たちと交流し、名前を知ってもらうのが、ねらいだ。今年は、教皇フランシスコも長崎訪問されるではないか。フランシスコの名は、世に知られる。
★去年から参加。去年は78組の出場チームがあった。成績は72番目。もっと、馬力をかけよ。噴気せよ。今年は上位に入るよう頑張りたい。結果は75組が出場して、40番目だった。去年よりも「フランシスコ」は随分、成績が上がったよ。ホームには男子職員が少ない。6人が出場。
★先ず、走りが4Km。次に、泳いで200m。泳ぎの青木さんが手をあげている場面です。次に、また走る。4.4Km。次は、自転車で12Km。また走り3Km。最後は、ガタ・スキーで150m。更に走って3Km。
★スタートして、皆さん、チカラを出し切って、前進した。遅くなったり、早くなったり、抜いたり、抜かれたり。リレー大会だから、全員のチカラの集約が必要だ。
★田園の風景。こんな場所を走ります。田んぼの稲も、ずいぶんと伸びている。さわやかな風がふく。気持ちが、いいね。遠くに見える山と人家。応援に駆け付けたのは、事務長さん、女性職員さん、小学生たちだった。
★参加者チームの名称は、いろいろ。水泳教室、県央消防本部、県庁走友会、小学校、病院などもあった。堂々の「フランシスコ」も負けちゃおられんよ。
★背中の絵をごらんください。キリストの腕と、フランシスコの腕が交差している。中央に十字架がある。これは「コンベンツアル・聖フランシスコ修道会」のマークです。胸の方には、フランシスコの印の「Τ(タウ)」が記されている。文字通り、フランシスコを背負って、走っているわけです。
★今年の時間は、1時間39分22秒。昨年は、1時間53分18秒だった。だいぶん縮小したよ。成績は良かったね。食堂でも話題になった。若者よ、がんばって走れ。後ろを振り返るな。人生も、おんなじだ。希望をもって、前へ、前へ、ススメ。ススメ。
★去年から参加。去年は78組の出場チームがあった。成績は72番目。もっと、馬力をかけよ。噴気せよ。今年は上位に入るよう頑張りたい。結果は75組が出場して、40番目だった。去年よりも「フランシスコ」は随分、成績が上がったよ。ホームには男子職員が少ない。6人が出場。
★先ず、走りが4Km。次に、泳いで200m。泳ぎの青木さんが手をあげている場面です。次に、また走る。4.4Km。次は、自転車で12Km。また走り3Km。最後は、ガタ・スキーで150m。更に走って3Km。
★スタートして、皆さん、チカラを出し切って、前進した。遅くなったり、早くなったり、抜いたり、抜かれたり。リレー大会だから、全員のチカラの集約が必要だ。
★田園の風景。こんな場所を走ります。田んぼの稲も、ずいぶんと伸びている。さわやかな風がふく。気持ちが、いいね。遠くに見える山と人家。応援に駆け付けたのは、事務長さん、女性職員さん、小学生たちだった。
★参加者チームの名称は、いろいろ。水泳教室、県央消防本部、県庁走友会、小学校、病院などもあった。堂々の「フランシスコ」も負けちゃおられんよ。
★背中の絵をごらんください。キリストの腕と、フランシスコの腕が交差している。中央に十字架がある。これは「コンベンツアル・聖フランシスコ修道会」のマークです。胸の方には、フランシスコの印の「Τ(タウ)」が記されている。文字通り、フランシスコを背負って、走っているわけです。
★今年の時間は、1時間39分22秒。昨年は、1時間53分18秒だった。だいぶん縮小したよ。成績は良かったね。食堂でも話題になった。若者よ、がんばって走れ。後ろを振り返るな。人生も、おんなじだ。希望をもって、前へ、前へ、ススメ。ススメ。
2019年9月10日火曜日
なつかしい「紙芝居」。感情を入れて語る女性。素直に受ける
ホームの午後。どこから来られたのか、1人の女性が、紙芝居を始めた。大きな帽子をかぶり、荷物を横に置いたまま、椅子に座り、からだは動かさず、最初から、なめらかな口調で途切れる事なく、しゃべりつづけた。先ずホームの位置や、風景をほめる。自分の育った場所を紹介する。一方的に、とにかく話つづけた後、そのまま「3つの紙芝居をします」と絵を広げた。慣れた語り口で、抑揚をつけ、感情を入れて物語は進んだ。
★紙芝居は、3つ、あった。原爆の物語で、「被爆した娘が通う学校の庭に、桜の木を植えて、育つ話」。次に「被爆した娘が、顔や身体に熱線をあびて、ケロイドになり、苦悩の人生を過ごした話」。この娘さんについては、私も自宅におじゃまして、取材し、写真も撮り、記事にも書いた。絵には、その娘さんの顔は、普通に描かれているのが、救いだった。93歳で亡くなった、と逝かれた歳を知った。
★原爆の話を聞きながら、私も語り部を努めているが、絵で語られる出来事と、実際に被爆の体験には、大きな隔たりがあるのを感じた。ただ、紙芝居を見て、「原爆は恐ろしい」「2度と戦争があっては、ならない」「核兵器の廃絶をの叫び」それは感じた。実際に被爆者が老齢化した、いまは、絵を見せながらも、語りつぐべきだと思う。
★2つの原爆の話の後、日本昔話から「ツルの恩返し」の紙芝居が語られた。ツルを助けたお爺さん。「夜中に、織るところを見てはいけませんよ」と姿を変えた娘がいう。のぞいて見たのは、お婆さんだった。
★3つの紙芝居の後、「ふるさと」「赤とんぼ」「地元の民謡」など一緒に歌った。40分間あまりを1人でこなす、この女性。淡々と語る、その動作の中に、やはり、その人ならでの才能を感じた。時を押し切る自信。平和を告げたい確信。経験の積み重ねの安心。そのような「目には見えない」チカラを、この女性から受け取った。
★紙芝居は、3つ、あった。原爆の物語で、「被爆した娘が通う学校の庭に、桜の木を植えて、育つ話」。次に「被爆した娘が、顔や身体に熱線をあびて、ケロイドになり、苦悩の人生を過ごした話」。この娘さんについては、私も自宅におじゃまして、取材し、写真も撮り、記事にも書いた。絵には、その娘さんの顔は、普通に描かれているのが、救いだった。93歳で亡くなった、と逝かれた歳を知った。
★原爆の話を聞きながら、私も語り部を努めているが、絵で語られる出来事と、実際に被爆の体験には、大きな隔たりがあるのを感じた。ただ、紙芝居を見て、「原爆は恐ろしい」「2度と戦争があっては、ならない」「核兵器の廃絶をの叫び」それは感じた。実際に被爆者が老齢化した、いまは、絵を見せながらも、語りつぐべきだと思う。
★2つの原爆の話の後、日本昔話から「ツルの恩返し」の紙芝居が語られた。ツルを助けたお爺さん。「夜中に、織るところを見てはいけませんよ」と姿を変えた娘がいう。のぞいて見たのは、お婆さんだった。
★3つの紙芝居の後、「ふるさと」「赤とんぼ」「地元の民謡」など一緒に歌った。40分間あまりを1人でこなす、この女性。淡々と語る、その動作の中に、やはり、その人ならでの才能を感じた。時を押し切る自信。平和を告げたい確信。経験の積み重ねの安心。そのような「目には見えない」チカラを、この女性から受け取った。
2019年9月9日月曜日
傾聴ボランチア女性が来る。話す⇒頭・心の整理⇒生きる力が湧く
待っていました。傾聴ボランチアの女性が来る日。ふしぎなご縁ですね。女性の話によると、傾聴ボランチアの養成を取得して、今は長崎で生活しておられる。長崎でも、実施したい。調べてみると、聖フランシスコ園が募っていた。連絡をとって、園を訪問した。職員さんが、女性を連れて、ある部屋をノックした。返事がない。不在らしい。「それでは、ここを」と、ノックしたのが、私の部屋だった。3年前の3月です。あれから私の数えでは、1年目は8回、2年目は7回、そして今年は6回目、傾聴ボランチアの女性は来られた。何だか、その日が楽しみですね。
★ありがたい事ですよ。最初の人は不在だった。当たったのが私でした。運が良かったというか、ご縁があったというか、こういう計画性が無いのに、幸せ事が運んでいく。そこに人生の、おもしろさが、あるんじゃないですか。
★約1時間、私が一方的に語るだけ、女性は聴いて下さるだけ。時折、私の言葉の最後の部分を繰り返し、私に戻してくれる。語るうちに、私の頭・心が整理されていく。すると、気持ちが、スカーッとして、生きる元気が湧き出て来る。ありがたい。
★まず最近の、足が弱くなった事を語りました。行き先、不安ですよ。車椅子に乗るのは、ツライ。ホームに居る老人たちを見ているから、どのように老いて行くのか、先が分かるんです。普通に歩けたのに、歩くのに悩むなんて、老いて苦しいね。
★若い頃の反省も語りました。小・中学生の頃は、自分が好きなこと、好みや才能、可能性など、そういう能力を見つけて、努力して、伸ばしていく。人生で大切な事です。自分の場合はどうだったのか。いま振り返って考えております。遅いけれどもね。自分を知る事の大切さでしょう。
★写真展の事は、話さない。出来るだけ、自分の内部を話したい。自分でもタメになります。毎回、聴いて下さる。旅費も時間も自腹で費やして、ホントに、いいのでしょうか。お礼をもらえば、もう来れない、と言われる。毎回、感謝の心で見送ります。この世知辛い、世の中に、こんな生き方の女性も居られるんですね。
★ありがたい事ですよ。最初の人は不在だった。当たったのが私でした。運が良かったというか、ご縁があったというか、こういう計画性が無いのに、幸せ事が運んでいく。そこに人生の、おもしろさが、あるんじゃないですか。
★約1時間、私が一方的に語るだけ、女性は聴いて下さるだけ。時折、私の言葉の最後の部分を繰り返し、私に戻してくれる。語るうちに、私の頭・心が整理されていく。すると、気持ちが、スカーッとして、生きる元気が湧き出て来る。ありがたい。
★まず最近の、足が弱くなった事を語りました。行き先、不安ですよ。車椅子に乗るのは、ツライ。ホームに居る老人たちを見ているから、どのように老いて行くのか、先が分かるんです。普通に歩けたのに、歩くのに悩むなんて、老いて苦しいね。
★若い頃の反省も語りました。小・中学生の頃は、自分が好きなこと、好みや才能、可能性など、そういう能力を見つけて、努力して、伸ばしていく。人生で大切な事です。自分の場合はどうだったのか。いま振り返って考えております。遅いけれどもね。自分を知る事の大切さでしょう。
★写真展の事は、話さない。出来るだけ、自分の内部を話したい。自分でもタメになります。毎回、聴いて下さる。旅費も時間も自腹で費やして、ホントに、いいのでしょうか。お礼をもらえば、もう来れない、と言われる。毎回、感謝の心で見送ります。この世知辛い、世の中に、こんな生き方の女性も居られるんですね。
2019年9月8日日曜日
「写真展」無事に終了。若い2人に感謝。展示場の皆さんにもお礼
今朝、ミサのとき、司祭が告げました。「きょうは日曜日ですが、聖母マリアさまのご誕生の日にも当たります」
★あわただしい1日でした。長崎市大浦で開かれている「写真展」が午後2時に終了します。高原修道士さんの運転で、ピース・ミュージアムに向かいました。いま、この日記を書いているとき、午後6時の教会の鐘がなっています。
★午後2時の終了時に、ミュージアムの皆さんと、野々村哲さん、塩沢美樹さんと終わりを見とどけました。写真が記念の1枚です。
★ミュージアムへ行くと、何人もの入場者がいるので、にぎわっているな、と感じました。写真展を始める前は、不安でした。果たして、修道士たちの写真を見に来る人が居るのか。毎日、2人か、3人か、そんな数を考えていました。
★結果は、ミュージアムの職員さんからも、良かったですよと感謝されました。2組、7人のシスターも見たそうです。聖コルベの祭日から始まって、聖母マリアさまのご誕生日に終わった。この記憶は、感謝と共に、トマの脳裏に残るでしょう。野々村さん、塩沢さんとの15秒の出会いが、写真展まで花開いたのです。計画された出来事でなく、ご縁が、5年の歳月をかけて、そのように導かれて行ったのです。
★入場者数は、23日間で、523名でした。その数字に、トマは喜んでいます。嬉しい。
★あわただしい1日でした。長崎市大浦で開かれている「写真展」が午後2時に終了します。高原修道士さんの運転で、ピース・ミュージアムに向かいました。いま、この日記を書いているとき、午後6時の教会の鐘がなっています。
★午後2時の終了時に、ミュージアムの皆さんと、野々村哲さん、塩沢美樹さんと終わりを見とどけました。写真が記念の1枚です。
★ミュージアムへ行くと、何人もの入場者がいるので、にぎわっているな、と感じました。写真展を始める前は、不安でした。果たして、修道士たちの写真を見に来る人が居るのか。毎日、2人か、3人か、そんな数を考えていました。
★結果は、ミュージアムの職員さんからも、良かったですよと感謝されました。2組、7人のシスターも見たそうです。聖コルベの祭日から始まって、聖母マリアさまのご誕生日に終わった。この記憶は、感謝と共に、トマの脳裏に残るでしょう。野々村さん、塩沢さんとの15秒の出会いが、写真展まで花開いたのです。計画された出来事でなく、ご縁が、5年の歳月をかけて、そのように導かれて行ったのです。
★入場者数は、23日間で、523名でした。その数字に、トマは喜んでいます。嬉しい。
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