地元の人たちが、歓迎で集まった。10人です。どういう人たちですか?長崎巡礼に来て、トマ修道士から、長崎市内や、外海、五島列島を案内された思い出のある任たちです。★五島へ行ったとき、泊まるはずのホテルを断られた。仕方なく、隣のビジネス・ホテルに泊まった。翌朝、食事のとき、「火事だ」。外へ出てみると、泊まるはずだったホテルが燃えている。宿泊客は、寝巻きのまま、屋外に避難しているのだった。「ええ、これは、タイヘン」。良かったと言っていいのか、可哀想と言っていいのか。「そんな事が、あったね」。話題は、盛り上がった。「皆さん、長生きしてね。また、おいで」。おみやげも、くれました。トマ修道士は、けっこう、人気があるんだよな。ありがたいと思いました。ガイド、うまければ、恩は返って来る。「トマさん、おゲンキなので、安心しました」。喜んでくれた。★渡名喜さんの「海軍・壕」を見学する。沖縄戦の前に、地下、450mの長さの穴が掘られた。ここで指揮をとり、電波を発信した。水も、トイレもなかった。海軍の兵隊たちは苦労して、戦い、最後は、4.000人の海軍兵士が自爆した。戦争は2度とあっては、ならない。平和学習の場として、子どもたちや、学生が見学に訪れている。穴に入っていく。50段の階段があった。帰りは、登るのがタイヘンだ、と思ったが、渡名喜さんの供養で、覚悟して下って見学した。幸い帰りは抜け道があり、ここには階段はなかった。渡名喜さんは、「壕」の復元に力を尽くした。3.000人の遺骨を収容した。「玉砕の地を、観光客の目にさらすのか」の批判もあった。「わたしは、何とかして、この戦跡を残したい」という念願だった。渡名喜さんは、ローマ迫害時代の、カタコンブ聖堂ですよ、トマ修道士にと語っていた。再度、見学の念願を果たして感無量であった。★その夜は、なぜか、寝つきがよくなかった。
ここは娘たちが小学生のころ、家族で見学しました。
返信削除展示されている通信文もすべて読み、
彼らは、自分たちが見捨てられていることを知りつつ、
それでもここでがんばった者がいたことを、
後世に伝えてほしいと望んでいたことに、
胸が締め付けられる思いがしました。
他の戦跡も訪れ、私たち家族は言葉を失ったものです。