2018年7月11日水曜日

黒崎教会の思い出。出身の司祭たち。両親の墓もある


外海・黒崎教会。昭和30年代の写真です。この頃、まだ食料難で、聖母の騎士から、黒崎の信者の家々に、芋や、野菜を貰いに行っていた。下が、その写真で、黒く写っている姿が、トマです。黒崎の信者たちは、快く、食料を寄付してくれた。写真の道路をみると、まだ舗装されていない。土や、ジャリの道です。貧しい農家の村でしたが、信者たちは、聖母の騎士には好意を持っていた。お礼に、ポーランド人修道士ロムアルドさんが、映写機を黒崎へ運んで、アメリカの映画、キリストの生涯や、パドアの聖アントニオ、聖母マリアのご出現など、上映して見せていた。テレビが普及しない時代で、歓迎と、感動をもって受け入れられた。
★トマは、北朝鮮の雄基(ゆぅき)で生まれた。ロシア、中国の国境に接した町です。しかし戸籍では、黒崎で生まれになっている。トマの記憶では、黒崎に初めて訪れたのは、昭和18年頃、15歳のときだった。自分では「黒崎出身」とは言えなかった。それを「お前も、黒崎出身だ」と仲間に入れてくれたのが教区の司祭、黒崎出身の「川原義和神父さま」だった。
★黒崎出身の高野利雄神父さまが、司祭叙階の金祝を黒崎教会で行なった。川原神父さまの招きで、初めて黒崎出身としてトマも仲間に入った。祝賀会があったが、参列の黒崎出身の教区司祭は5人。シスターは20人以上がいた。川原神父さまは、トマに「乾杯の音頭をとれ」と命じた。「いや、トマは修道士だから」と辞退したが、「どうしても、やれ」と言われて、司祭やシスターの身近で、「カンパイ」とやったのは、今でも恐縮に思う。懐かしい思い出にもなった。その高野神父さまも、今年、神に召された。93歳であった。
★ホームに入って、トマも松下修道士と共に、誓願金祝をお祝いした。黒崎教会では、司祭叙階金祝と同じように、祝賀ミサ、その後、司祭・修道者だけの祝賀会もあった。高野神父さまは出席されたが、川原神父さまは故人となっていた。
★明日は、黒崎へ両親、田川家の墓参りに行く予定です。久しぶりに黒崎教会も参詣できるでしょう。松下修道士が連れて行ってくれます。