朝の気温は、4度だった。長崎でも、冷える。東京から、修学旅行の小学生たちが、120人、ヒザ上の短いズボンをはいて、やってきた。「寒かろう、ゲンキだね」。毎年、今の時期にくる暁星小学校の児童たちだ。長崎市内を回って、海星学園へきた。被爆者の修道士が、1時間ほど、語り部を勤めた。皆さん、熱心に聞いていたよ。老いた身の修道士は、長時間、立って話すのは、難儀だった。それでもガマンしたよ。子供たちに話を聞かせると、こっちの方が反対に、パワーをもらう。ありがたいと思うよ。「質問は、ないですか?」と聞くと、4つの質問があった。①「お母さんは、どう、なった?」。②「トンネルの中で、被爆の瞬間は?」。③「原爆症は、だいじょうぶ?」。④「トマ小崎の名前は、誰が付けたの?」。お母さんは、原爆の朝、別れたきり、行方不明となった。遺体も拾っていない。トンネルの中では、閃光は見ていない。強い爆風を感じた。原爆症に、なったよ。皮膚に吹き出物が出来る、からだの疲労感と、長い間、下痢で苦しんだ。トマ小崎は日本26聖人の中の1人の少年で、名前を付けたのは、院長さんでした。戦争や、原爆は、2度とあっては、ならないね。平和の世の中であるよう、努力しよう。
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