月曜から、土曜まで、年の黙想です。修道会のお勤めです。長崎市内の、山の上、黙想の家で行なわれた。18人が集まった。司祭が、10人。修道士が、8人。修道士は少ないので、こんなに8人も集まるのは、めずらしい。司祭の1人は、兵庫県から、軽自動車で、やってきた。修道士の1人は、名古屋から、クルマでやってきた。「ゲンキが、あるんだなァ」。遠くは、東京、鹿児島県・奄美大島、沖縄からも、来た。最初の日は、皆さん、それぞれの道で、神に呼ばれたことを確認し合う。「イエスが、いま、あなたのソバを通りすぎようと、している。さあ、あなたは、どうするか?叫ぶか。ムシするか。ジーッと見るか」。1つの問題が、浮かび上がる。斉藤修道士が、「お元気ですか?」と声をかけられる。久保神父さんが、「記事を書く、アイデア、浮かぶね?」と声をかける。黙想に来て、最初に何を感じましたか。「自分が、やっていること、いかに、小さいことか。小さいことに、こだわって、あくせくしている。小さいことでも、大きな意味を持っている、そんなことを考えた。導入の講話が、夜にあった。うっかり、ベッドに横になっていたら、気が付くと、15分、過ぎている。「やりとばした」。これから講話をするのは、白いスータンで、黒髪の若い司祭だった。長崎出身だそうだ。
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