ミサで祈りながら、ふしぎなご縁を感じました。いま、こうして、この教会で祈れるのは、どうしてだろう。コルベ神父さまのおかげです。あの有名なコルベ神父さまですよ。アウシュヴィッツで愛のためイノチを捧げた聖人の直接のおかげです。はっきり、認めます。コルベ神父さまが、ポーランドから宣教に出るとき、一応、東洋へと、大きな目標は決めていました。細かいことは、けがれなき聖母マリアのお望みに従うまでです。それが本当の気持ちでした。けがれなき聖母マリアは、長崎をお望みになったのです。長崎に定着し、聖母の騎士を創りました。確実に、けがれなき聖母マリアのご意志です。コルベ神父さまは、ここで6年間、苦労しながら、病気をしながら、宣教しました。アセも、ナミダも、沢山、染み込んでいる場所です。こうして準備された、その場所へ、少年は導かれて、トマ修道士になった。そう考えると、ありがたい、ふしぎなご縁を強く感じました。恵まれたジンセイではないですか。コルベ神父さまの生き方を、愛を忘れてはいけない、そう思った日でした。★明日は、コルベ神父さまが、全生涯をかけて熱愛した、けがれなき聖母マリアの被昇天の祭日です。大きなお祝い日です。その前日に、コルベ神父さまは殉教されるなんて、これは偶然でしょうか。ふしぎと思いますよ。マリアさまのお恵みではないですか。そいう不思議さが、コルベ神父の生涯には多々あるのです。
14日は午後、赤羽教会へ行き、聖堂で『身代わりの愛』を読み返しました。
返信削除アウシュビッツの監視兵の証言によれば、8月14日、コルベ師の「顔はふしぎな光に輝き、目は広く見開いて一つの所を見つめ、全身は魂が抜けたような状態であった」。 (110頁)
この世の果てから飛び立ち、翌日の天上での聖母のお祝いに間に合ったのでしょうね。
俗人はコルベ師のように振舞えなくとも、終戦記念日の前日にこのような過ごし方ができて幸せです。