2012年4月22日日曜日

新聞に、ゼノ修道士が載る。没後30年。4月24日命日

いつぞや私の所に新聞記者がやってきた。アドバイスしてあげた。昨日の新聞に、大きくゼノ修道士が紹介された。4月24日がゼノさんの命日にあたり、没後30年になる。満足する記事にまとめられていたが、一箇所、腑に落ちない活字があった。萩原神父さんの談話である。(記事の、最下段の部分)「・・・伝えると、戦争起きる」何のことか。今朝、電話で、萩原神父さんに訊ねてみた。萩原神父の解説は概略、次のようであった。ゼノさんの考えている基本は・・・神さまから私たち人間は、すばらしい心を与えられている。しかし人間は自分を大事にするために、すばらしい心は眠ってしまっている。自分の幸せしか考えない『悪い心』もある。私が頼みます。「貧しい人が居ます。飢えているから、パンをください。寒さにふるえているから、モーフをください」。その願いは、その人にとってバクダンとなる。その人の心に、「助けてあげようか」と、いい心もある。しかし「自分に関係ない、自分のセイじゃない。助ける必要ない、との悪い心もある。バクダンを投げかけることによって、その人のうちに戦争が起こります。でも、たいていの人が、『いい心』が勝ちます。こうしてゼノさんは持てる者から譲り受け、持たない人に与えたのです。材木をもらう。米をもらう。瓦をもらう、ほとんど成功しました。しかしゼノさんは「自分のことを聞いてくださった」とは言わない。「その人が、神さまから、いただいた、いい心が働いたのです。そしてゼノ修道士は言っていた。「その人が、いい心で働くように仕向けるのが宣教師の仕事です」。私は萩原神父に問うた。「ゼノさんを一言で言うと、神父さんは何と思いますか」。萩原神父はズバリ答えた・「彼は宣教師であった」。「パンをもらうことで、ない。毛布をもらうことで、ない。ワタシは宣教師です」。ゼノさんの名言です。今日は、この言葉を味わいます。

4 件のコメント:

  1. 小崎さんが退院なさってほっとしました。
    今日はゼノさんのことを載せてくださりありがとうございます。新聞記事を拡大して読みました。
    いま人生の転機に直面しています。
    私の中にもいい心があると信じて、それが勝てるように頑張ります。

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  2. お久しぶりです。北九州からいつも手紙を送っているS.Yです。久しぶりに小崎さんの日記を見てみると、入院されていたようで、びっくりしました。手術も無事に終わって本当によかったです!
    私は長崎に行くために頑張っているので、小崎さんも元気に頑張ってください!!また会える日を楽しみにしています。

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  3. 元日のエリザベット2012年4月22日 17:40

    ゼノ修道士さんのお考えが、とてもわかりやすく書かれていて、また、その深さに感動しました。
    同時に、今まで日本にやって来た、宣教師の方々にも、思いを馳せてみました。
    彼らは、何の縁も恩もない、外国のために、喜んで自分のことや祖国を捨て、全身全霊を捧げているのですね。
    私の教会はサレジオ会なので、イタリア人神父様が多く、ふだんは冗談を言い合ったりして、当たり前のようにお世話になっているのですが、きょうは、ゼノ修道士さんの姿に重ね合わせてみて、あらためて、そのありがたさに、感謝の念がわいてきました。
    先日、99歳で、あるイタリア人神父様が日本で帰天されましたが、このように、生涯日本のために尽くされる方が、多いです。
    今度長崎に行ったら、ゼノ修道士さんについても、もっと教えて下さい。
    でも、小崎修道士さんは、きっと、こうおっしゃいますよね。
    「ちゃんと勉強してきなさい。多くは教えませんよ。」

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  4. 元日のエリザベットさんへ
    ブラザー・ゼノについては私の知っているところでは「ゼノ死ぬひまない」、「蟻の街のマリア 北原怜子」の書籍があります。また「ゼノさん 愛の使者」というコンベンツァル・フランシスコ会発行の写真集がありましたが、これは廃刊になっているかもしれません。ネットで探してお読みになってはいかがでしょうか。以前テレビで世界に於けるバチカンに関してのドキュメンタリーが放映され、そこで北原怜子さんの列福調査依頼の書類が瞬間的にアップで映されました。それがブラザー小崎の文字だと私にはすぐにわかりました。
    コンベンツァル・フランシスコ会、ブラザー小崎は私の知らないところで、こういう地道な仕事をしていらっしゃるのだと胸を打たれたことがあります。

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