2012年4月14日土曜日

今の現実をむしりとって生きていく。それが人生

砕いた石は流れたか。そこまで考えなかった。今朝、看護師さんから言われた。「石は出ていませんね」。毎日、尿を貯尿袋に溜めているが、袋の上に布が覆われている。(写真)。なぜかと思ったら、砕けた石が乗るためだったのです。それに気がつかないから、また聞いていないから、尿を入れるときは、いつもキレを持ち上げて入れていたのです。アホな奴ですね。ひょっとすると、2日目、3日目に、石は出たかも知れない。残念だな。ヌノの上から尿を注げばよかった。尿コップに、コロコロしたカタマリが出たこともあったから大丈夫だろう。看護師さんは言った。「CTを撮っているから判ります」
この世に生まれたのは自分で選んだのでなく、全く自由な人生でなかった。人は、この家族、この国、この環境など、限られた場所で育っていく。私の場合、若くして両親に死に別れ、兄弟もなく、孤児となった。原爆を体験し、生き延びて、数々の病気に耐え、施設の子どもたちと長年、暮らした。カトリックの信仰実話を取材し、記事を書き、今は、聖コルベ館で見学者と出会いを楽しんでいる。それだけのジンセイだったと言えるかも知れない。『過去の出来事、何んにも、ならん。お前の現実は、今だ』。看護師さんとの対人関係、お医者さんとの対人関係、今はそれだけに限定される。生きるからには、①自分の人生を楽しみ、存分、生きたいと思う者も居り、いや②他者に奉仕して生きたいと思う者も居る。これらは価値観の相違だろう。それでも確かな事が1つだけ有る。『他人を喜ばされば、自分も嬉しい。その気持ちが誰にでも有る』

2 件のコメント:

  1. 貯尿袋の上の布は覆い(カバー)だと思ってしまいますよね。しかしこのエピソードには笑ってしまいました。きっとたくさん流れていますよ。・・・少し前のこのブログに
    「何のために生きているのかわからない」と言われた男性のことが載っていましたね。確か車の前で写真を撮られていた長崎の方です。たくさん心に傷を抱えて生きておられる方なのでしょう。その孤独感が痛ましくて忘れられません。この方に「生きていればこんないいことがあるのだ」と感じられるほどの良いことがありますようにと祈らずにはいられません。

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  2. マキシミリアナ・マリア・コルベ2012年4月16日 15:53

    ガーゼの上から尿を入れるように言わなかったのは看護師のミスです。私が代わりにお詫びします。もう石は出たかもしれませんね。

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