長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年4月30日月曜日
ジャスミンの花が咲き、春、4月も終わる。30秒の魅力語
2012年4月29日日曜日
昨日、食べたデザートです。きれいでしょう
食べる話ですみません。昨日、赤いスープを食べたでしょう。あれは第1の皿で、第2のメインの皿は写真を載せないで、パスしますが、次に、第3に食べたのが、このデザートでした。チョコレートで、星屑のように光り、中はアイスクリームが包まれています。きれいでしょう。印象に残る一品なので載せました。4月も、入院などで、いろいろありました。でも無事に今日を迎えました。連休が始まり、見学客が三々五々来ています。知り合いの司祭も来て、「おお、何だ。ゲンキ、しているじゃないか」と笑っていた。
2012年4月28日土曜日
町を歩く。春風にさそわれて。よかったよ
教会の近くにお住まいがある信者のタクシーを会社から呼んでもらった。効果はあったよ。降りたとき、小さなバッグを忘れた。数歩、歩いて気が付く。携帯はバッグに。困ったな。電話を探して、会社に電話すると、「確保しました」の返事。安心した。今日、買い物したのは、「匂いの付いた水」です。手首と、耳の後ろに、チョッとだけ付ける水ですよ。老人になって、加齢臭っていうんですか。尿の臭いもあるしね。騎士はやっぱり、シャンとしておかないと、いけないからね。「1人で買うのは、気が引ける」。買っちゃったよ。本屋へ寄ったが、「生きる、1言の知恵」のようなピッ足し本は目につかなかった。昼飯は、ポーランド料理を思い出しながら、写真の赤いスープ、ボルシチを食べた。ビート、じゃがいも、ニンジンです。おいしかったな。帰ったのは、午後2時でした。「待て、待て。立ち止まって、『心の景色』も見よう、そう歩きながら考えたよ。何のことですか?心に浮かんだことも有るのです。
2012年4月27日金曜日
千草さん、来る。おお、世話になったな。ゲンキだぞ
2012年4月26日木曜日
聖霊よ、私のうちに働いてください。何もわかりません

2012年4月25日水曜日
大浦の聖母の騎士が宣教を始めた場所。汗と涙の匂いあり
2012年4月24日火曜日
3つの記念日です。上陸。命日。日記の書き始め
①1930年(昭和5年)4月24日。コルベ神父、ゼノ修道士たち聖母の騎士たちは、この日の午後1時頃、長崎丸で長崎港に到着。日本の地に、第一歩を記した。彼らが長崎へ来たおかげで、私も聖母の騎士に入ることができた。②1982年(昭和57年)4月24日。この日、ゼノ修道士が神に召される。ちょうど長崎へ上陸した日の同じ時間、ローマン修道士の証言によると、午後1時頃に、東京のベトレヘムの園病院で、ゼノ修道士は亡くなったそうである。日本生活、52年。90歳であった。没後、30年になる。また今日は、私ごとながら、もう1つの記念日でもある。それは③『登明日記』を書き始めたのが、3年前の、2009年(平成21年)4月24日であった。あれから毎日、ブログを書くのが楽しみとなった。しかし実は日記を書き始めた動機は、少々深刻で、その同じ月の4月2日に、突然の血尿を見て、ボウコウ・ガンといわれ、身も心も痛む療養生活が始まったからであった。「人は、どのように死んでいくのか」。記憶しておこう、そういうヤボな気持ちでパソコンに向かった。あれから3年が経過して、本当に様々な、膨大な出来事が起こったと思う。そして最後を言えば、先日の、思いもかけぬ腎臓に発症した結石であった。1週間おきに、2回の全身麻酔をさせられ、2回にわたって、大小、13個の結石を取り出し、見せられたときは、さすがに唖然として、これが尿をストップさせた原因かと、奇妙な気持ちになった。日記も4年目に入る。さあ、これから、どんな人生が待っているのか。切り開いていくのか。さらに楽しみである。どうぞ、日記を読んでくださる皆さんも、つづいての応援をお願いします。
2012年4月23日月曜日
イノチは神さまのこと。執着するな。生きるも終わるも

2012年4月22日日曜日
新聞に、ゼノ修道士が載る。没後30年。4月24日命日

2012年4月21日土曜日
心に残る出会いを体験して、日々充実して生きよう

2012年4月20日金曜日
入院12日。退院の日です。赤と白のツツジが印象的
人生、まさか、まさかの連続です。思いもかけず、結石があり、2度の手術のおかげで、また生きる力をいただきました。松下修道士が迎えに来る。外気を胸いっぱい吸うと、赤と白のツツジが見事に咲いていた。赤い冠か、白の冠か、連想させる。聖コルベ館に戻ってくる。赤、白、冠のコルベ神父のお膝元で、つづいて信仰生活を豊かに、全うして行きたいと思います。お医者さんの素晴らしい「神の手」の捌(さば)きもありますが、やっぱりお祈りです。イノチは神さまのことですから、それは言えます。周りの人のお祈り、日記を読んでくださる皆さんのお祈り、その効き目が抜群でした。心から感謝いたします。それに、もう1つ、ある。見舞い客が言いました。「介護する人が、一番、大変なのよ」。そうです。本当に、そうです。芯(シン)から介護してくれた良きサマリア人よ、ありがとう。「神の計らいは限りなく」と歌もツイ出るよ。「さあ、また始まるよ」
2012年4月19日木曜日
介護する千草さん、見舞いにくる韓国人シスター
2012年4月18日水曜日
ホット一息、気持ちが楽になった。元気を出すぞ
2012年4月17日火曜日
手術は無事に終わった。熱もなし。ゲンキです
2012年4月16日月曜日
今日は午後から手術。カクゴ。苦難の1夜になる

2012年4月15日日曜日
神のいつくしみの主日。入院7日目。早や1週間
朝、7時。病院の朝が明ける。「チリン、チリン」と鈴が鳴って、司祭が信徒の病室を回り、ご聖体を授ける。今朝は日曜日。「病気に耐えるチカラを与え給え」と祈る。早や入院1週間が過ぎた。おかげで体力は回復した。まだ生きる活力は有るぞ。尿は少々濁っているが、黄色になった。明日は又、手術となる。日曜なのにお医者さんが見えて、「頑張りましょう」と励ました。ガマンしよう。乗り越えよう。今は辛くても、この道ゆけば、必ずゲンキになる。喜びは湧き出る。道がある間はいいね。希望がある。「大丈夫か」「疲れた顔しているね」「元気が無いね」など、こんな言葉を掛けられるのが一番イヤだな。人生、もっと前向きに行こうよ。「おー、よく、やっとるな」。その掛け声がほしいよ。★コメントが入っていた。元日に、閉館まぎわに来た女性だった。覚えてくれたね。励まし祈ってくれたね。写真の神父さんは司祭生活60年で、80何歳、そのパワーに負けるよ。
2012年4月14日土曜日
今の現実をむしりとって生きていく。それが人生
砕いた石は流れたか。そこまで考えなかった。今朝、看護師さんから言われた。「石は出ていませんね」。毎日、尿を貯尿袋に溜めているが、袋の上に布が覆われている。(写真)。なぜかと思ったら、砕けた石が乗るためだったのです。それに気がつかないから、また聞いていないから、尿を入れるときは、いつもキレを持ち上げて入れていたのです。アホな奴ですね。ひょっとすると、2日目、3日目に、石は出たかも知れない。残念だな。ヌノの上から尿を注げばよかった。尿コップに、コロコロしたカタマリが出たこともあったから大丈夫だろう。看護師さんは言った。「CTを撮っているから判ります」
この世に生まれたのは自分で選んだのでなく、全く自由な人生でなかった。人は、この家族、この国、この環境など、限られた場所で育っていく。私の場合、若くして両親に死に別れ、兄弟もなく、孤児となった。原爆を体験し、生き延びて、数々の病気に耐え、施設の子どもたちと長年、暮らした。カトリックの信仰実話を取材し、記事を書き、今は、聖コルベ館で見学者と出会いを楽しんでいる。それだけのジンセイだったと言えるかも知れない。『過去の出来事、何んにも、ならん。お前の現実は、今だ』。看護師さんとの対人関係、お医者さんとの対人関係、今はそれだけに限定される。生きるからには、①自分の人生を楽しみ、存分、生きたいと思う者も居り、いや②他者に奉仕して生きたいと思う者も居る。これらは価値観の相違だろう。それでも確かな事が1つだけ有る。『他人を喜ばされば、自分も嬉しい。その気持ちが誰にでも有る』
この世に生まれたのは自分で選んだのでなく、全く自由な人生でなかった。人は、この家族、この国、この環境など、限られた場所で育っていく。私の場合、若くして両親に死に別れ、兄弟もなく、孤児となった。原爆を体験し、生き延びて、数々の病気に耐え、施設の子どもたちと長年、暮らした。カトリックの信仰実話を取材し、記事を書き、今は、聖コルベ館で見学者と出会いを楽しんでいる。それだけのジンセイだったと言えるかも知れない。『過去の出来事、何んにも、ならん。お前の現実は、今だ』。看護師さんとの対人関係、お医者さんとの対人関係、今はそれだけに限定される。生きるからには、①自分の人生を楽しみ、存分、生きたいと思う者も居り、いや②他者に奉仕して生きたいと思う者も居る。これらは価値観の相違だろう。それでも確かな事が1つだけ有る。『他人を喜ばされば、自分も嬉しい。その気持ちが誰にでも有る』
2012年4月13日金曜日
5日目。元気になった。主治医の先生、頼みます
2012年4月12日木曜日
残念、まだ結石は残る。もう1度、手術しましょう
お医者さんは言った。「長時間、頑張ってみたが、全部の石は取れなかった。来週月曜(16日)に、もう1度、実施しましょう」。尿管から3mmのカメラを入れる。石の大きさは、5mm、6mm、幾つもある。それを1つづつ砕いて、流す。石の硬さは、中ぐらい。6、7個ある。時間の間に、7割しかできなかった。残り3割。今度、取ります。汚れたバイパスも抜いて、新しいバイパスを入れた。お医者さんにお任せしよう。それにしても何んで、石なんか、できたのだろう、と思う。介護の千草さんが言った。「小崎サンの好物は牛肉のテンプラだから、それが頑固な石になったのよ」。返す言葉もないが、(それでも、やっぱり、食べたいな)と心の中。手術時間が長かったので、待っていた見舞い人たちは心配したらしい。「トマは大丈夫だろうか。元気になるだろうか」。腎臓の内部をいじったので、まだ血尿がでている。まあ、そのうち収まるだろう。術後の発熱はない。体調は良好。尿が沢山でているので腎臓の機能も低下していない。忍耐して、イノチつなごう。昼食時に千草さんが来た。「あなたが介護してくれて助かったよ」「小崎サン、夜中の3時頃だったか、無心で両手を招いて、コルベ神父、聖コルベ、聖コルベと大きな声で叫んでいた。確かにコルベ神父さんを見ていたんじゃない?」「覚えていないね」
2012年4月11日水曜日
2倍の時間を要した手術。夜中の看護も大変
挨拶をして手術室へ。白い大きなベッドが中央にあった。観念して横たわる。手足に沢山の線がつながれる。目をつぶれば、冷たい器械が闇に迫ってくる。左手の上に、柔らかい手の温もりが重なり、不安を消してくれる。全身麻酔の深い眠りに落ちていった。・・・名前を呼ばれて気が付く。正面の時計は5時を示していた。「え、こんなにも長時間」。麻酔から覚めてから辛い。悪寒、痰・咳、腕の痛みに苦悶する。収まるのに30分かかった。看護師詰所まえの術後室に入った。その夜は大変だった。千草さん(写真)が傍に付いてくれた。千草さんの家は、病院から徒歩3分の所にある。。この前の入院のとき、私が「なぜ見舞いに来ない?」と責めると、「急がしか、モン」と答えた女性だった。1晩じゅう寄り添い、私が動くと顔をのぞけて、丹念に、寝汗をぬぐう、顔を冷たいタオルで拭く、上腕の痛みを長々とマッサージする。ロザリオも何本も唱えたという。只ただ感謝しかなかった。おそらく1晩じゅう寝なかっただろう。長い夜が明けた。大きな山場の1日が明けた。尿は管を通して袋へ。夜中にトイレに起きない。朝、管を抜いた。からだを拭いて、午前中に、自分の病室に戻った。そのときの写真です。
2012年4月10日火曜日
午後から手術。腎臓1つで問題多し。何とか頑張る
病室は1人部屋。差額費用は被爆者ガン手当てより支払いの予定です。部屋には電話、インターネット利用が付いているので便利です。恵まれた部屋です。感謝しています。滝神父さんが励ましにきた。(写真)。さて、朝食なし、昼食なし。午後から手術となる。2時間の予定です。それ以上は腎臓に影響がある。手術の目的は、レントゲンに映らない結石の粉砕です。腎臓が2つあれば問題は少ないが、私は1つなので問題が多い。余り無理すると腎機能が低下する。手術のポイントは3つです。①数個ある石の粉砕。器械の名前は「ホルミニム・ヤグ・レーザー」(県に1台しかない)。②腎機能を低下させない。③正常な、きれいな尿が出ること。手術は全身麻酔で行なわれる。腰椎麻酔でいいのだが、私の背骨はカリエスのため隙間がなく、麻酔注射が入らない。前の手術で40分ぐらい要しても入らない。麻酔には大学から専門医師が担当するという。安心です。手術後は別室に入り、さまざまな処置が行なわれ、身体的にもタイヘンが予想されます。こんな苦労には慣れていますが、この度はどうなるか。今朝は司祭の祝福だけでした。カゼが心配でしたが、平熱で乗り切りました。
2012年4月9日月曜日
入院する。お祈りをお願いします。み旨のままに
朝から気持ちは晴れ晴れしています。聖コルベ館を定刻に開け、出かける準備をする。事務室の私のパソコンに向かい、この記事を書いている。しばらくは書けない。9時30分、赤尾院長さんと山浦神父さんがワゴン車で送ってくれる。今度は悲壮感は余りない。病院に着き、手続きをして、病室に案内された。幸い、パソコンが使える部屋です。赤尾院長さんが急いで聖コルベ館に帰り、私のパソコンを運んできた。セットしてくれた。これで病室から「登明日記」が毎日、書けるでしょう。皆さん、見守って、快癒を祈ってください。苦難の道行が始まります。11時からお医者さんの説明があるそうです。赤尾、山浦、2人の神父さんが一緒に説明を聞きます。追々、日記で皆さんにもお知らせします。今度は元気になって帰りますよ。希望を持っている。
2012年4月8日日曜日
休んでいます。まだカゼが良くならない。ガマン
寒気がして休んでいます。入院を前に、用心しています。大丈夫です。尿が赤く濁っていますが、心配はしておりません。ベッドで独り歌っています。「神の計らいは限りなく、生涯、私はそのなかに生きる」。今度、石を砕けば、元気になるでしょう。そんな気がするのです。生きるとは、自分の力ではない。生きている間は神さまが御目をとめてくださっている。それを信じるのが信仰です。
2012年4月7日土曜日
残念、韓国へ行けない。永井先生、語れない

2012年4月6日金曜日
大山教会の庭にマリアさま。サクラ満開だよ
2012年4月5日木曜日
まだ大きな課題が残っている。心配はしない
前もって覚悟を決めるということです。まだ腎臓に結石が残っています。どうして石ができたのか、理由はわからない。バイパスが入っているので、いずれ取らなくてはいけないし、石も砕石しなければならない。1つの大きな課題がまだ有るわけです。今日は聖木曜日(ミサの制定)、明日は聖金曜日(十字架の犠牲)、次の日は聖土曜日(復活徹夜祭)、そして復活祭。明けた月曜日に入院します。この日に入院を決めたのはお医者さん。摂理か、偶然か。快癒を期待している。この山1つ越えれば、必ず元気になります。軽の運転もできます。それまで自粛している。これまで綺麗だった尿が、4月に入って若干、濁ってきた。気にはしていないが、順調よく行っていると思う。皆さんにはお祈りの援助をお願いします。
2012年4月4日水曜日
生きている、本当に幸せ。心を開いて祈りたい

2012年4月3日火曜日
北海道は留萌から、神父がバス運転で毎年来る
2012年4月2日月曜日
待ちに待った春だよ。冬眠から目を覚ませ

2012年4月1日日曜日
この時期になると、病床に取り付かれる
終戦直後、聖母の騎士・小神に入ったとき、毎朝、夕べにも、このマリア像の前で祈って、大浦の東陵中学に通った。まだ軍国主義が残っており、背嚢せおって、ゲートル巻いて、10数人の小神生は行進して通学した。ぐれた学生を「ごろつき」と言ったが、彼らは道端にたむろして、学生が来ると、殴りかかってイジメた。ところが小神生が来ると、「おい、道ば、あけろ」と指示して、安泰に通してくれた。彼らは小神生たちを尊敬していた。このマリアさまを見ると、いつも、あの頃を思い出す。
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