長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月28日水曜日
旅館・富士屋で始めての客。竹のジョッキーで飲む
ボクは、ビールのジョッキーです。大きな竹を切って、ボクが作られたのは、そうだなァ、もう、何年か前だった。だが、1度も使われなかった。この度、『富士屋』さんで、初めてのデビュー。さすがに、宿屋のおねえさんもビックリしていたよ。普通、旅館で出されるビールは中ビンだね。これだと2本分は入る。ガラスのジョッキーだと中が透けて見えるだろう。竹だから、中のビールは見えない。ゆっくり気兼ねしないで、飲めるよ。でも、さすがに、このジョッキーを使うのは、最初は気が引けて、遠慮ぎみで、宴会が始まったら、そっと、宿のお姉さんに聞いたよ。「マイ、ジョッキーで、よかですか?」。宿屋のお姉さんは、よく聞こえなかったのか、大きなグラスを持ってきたが、それじゃない。「これです」と、ヒザのあたりから出したのが、竹製のジョッキーだった。ああ、あの夜は楽しいひと時だった。これも思い出になる。竹製のジョッキーは、みんなを湧かせたよ。充分に飲めて、万足だったようです。飲んでも、飲まれるな。でも彼は、呑む前も、ニコニコ。酔っても、ニコニコ。全くおとなしいから、周りのみんなにも好かれる。毎日、飲んでいるわけじゃない。飲むのは、週に1度、夜の休憩のときだけだよ。だが今夜は何杯、飲んだか、そりゃヒミツさ。愉快な、夜だった。「最初で、最後かも・・・」。ジョッキーの主は、そう、つぶやいていた。
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