長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月19日月曜日
なぜ私は宗教を信じているのだろう?
①先ず、なんと言っても親、なかでも母親の影響が大きいと思う。母親が信じていた信仰をそのまま受け継いだ。大事にした。伯父や叔母もカトリック。幼い頃、要理や聖書物語を教えられた。カトリックという大きな河のなかで育ったと思う。しかしよく考えてみると、それだけではない。②私自身が、宗教に惹かれるというか、神に引き寄せられるというか、そういう雰囲気があるのを感じている。③理屈じゃない。学問で学んだ結果でもない。他の宗教は全く知らない。カトリックだけで、満足というか、充分というか、教えに徹してきた。ウラを返せば、神からの呼びかけがあった、とも言えるやも知れぬ。④神に祈り、犠牲をささげ、善行を行ない、神と係わり合いを持つと共に、神の愛や導き、ハタラキを感じるようになる。⑤生かされているのは自分の力でなく、神の恵みによる。実感ができるようになる。霊的に結ばれていくのであろう。信仰とは、こういう実情ではないだろうか。★食卓での話題。五島のある教会で、普通の日に、30人ほど、毎朝のミサに祈っている。またある教会で、降誕祭が近いので、告白をする信者が列をなしている。信仰は生きているんだな。
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