長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月7日水曜日
ユスチノ田川幸雄修道士の命日。7年忌。平安を
ユスチノ田川幸雄修道士さんが神に召されたのは、2004年でした。7年忌になります。彼の生涯を眺めるとき、2つの顔がある。1つは養護施設の職員としての働き。20年近く指導員を勤めた。家庭の事情で、施設の生活を余儀なくされた子ども達の世話や教育、指導面で苦労された。もう1つの顔は、イタリア・アシジの聖フランシスコ修道院で、巡礼者・観光客の案内を務めたことです。1991年から1997年まで滞在した。その間、アシジの修道院を訪れた皆さんは、ユスチノ田川修道士の説明を聞いているはずです。その説明はピカ・イチでした。流暢な口調で、自分で自分の説明に酔うようでした。彼の熱弁を聞いて、聖なる感動を受け、洗礼に導かれた人も多々おられます。堺屋太一(著名な評論家)をして、「心洗われた」と言わしめた。73歳で、東京で亡くなった。心の温かい修道士でした。彼と、私は、従兄弟同士です。彼の名前は「田川幸雄」で、私の名前は「田川幸一」です。「雄」と「一」が違うだけです。今朝、ミサのとき、司祭が間違えて、「命日、田川幸一のために祈りましょう」と言っていた。「オイ、オイ、幸一はまだ生きとるぞ」
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2年前のブログにもうっかりコメントをつけてしまいましたが、私も大学時代イタリア旅行中に
返信削除田川修道士にアッシジで出会い、
心洗われた者のうちの一人です。
生涯のうちに田川修道士のような方に
出会えたのは、喜びとしかいいようがありません。
いつかお墓にお礼を伝えに伺いたいと思っています。
ポーランドでユスチノさんに会った事があります。数年前、ワルシャワの空港に着いてからベレーを被る男性の方を見つけました。優しい姿の方でした。勇気がなかったので一時間ほど沈黙していました。近付いてお話をしてみたら彼も小生も小崎登明さんをお待ちしていたと分かりました。忘れぬ思い出です。ユスチノさんに永遠の幸せをお祈り申し上げます。
返信削除高輪教会のベルナール佐藤です。
返信削除田川さんにはアッシジで2度お会いしました。
2度目にお会いした時にはゆっくりとお話させて
頂くことが出来ました。ルルドへの巡礼を勧めて
下さった田川さん。優しい話し声がいまでも思い
出されます。
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返信削除お懐かしい田川神父さまのお名前を拝見し、涙が出る想いです。アッシジでご案内いただいた翌日偶然ローマのお店で隣席になり、お茶をご馳走になりました。それからお亡くなりになるまで交流がありました。日本に帰ってこられて数年後の冬、鳥取観光に来ていただき、次は青葉の季節に大山に!とお約束したまま、体調が良くないとのお手紙をいただくようになり。
返信削除本当に懐かしいです。
いつも祈っていますと書いてくださっていた達筆のハガキ、今も手元にあります。