長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月3日土曜日
高貴なお人も凡人も同じニンゲンには変わりなし
大司教さまといったら、教会では高位聖職者ですよ。一方、修道士といえば、ヒラの名もない小さき兄弟です。その差は、雲泥です。勉強も、経験も、権能も、比べ物にならない。ところが昨日、突然、韓国のテグの李大司教さまが、わざわざ私を訪ねて、お見舞いに来られた。私は午後の休み中だったが、姿を見せるまで待ってくださった。「いまから鹿児島へ行きます。途中で寄りました」「ああ、聖フランシスコ・ザビエルの祝日(今日がその日)ですね」。なぜか、この司教さまとは気持ちが合うんです。私のことを聖コルベ館の奉公人と呼ぶ。「修道士さんは、前よりゲンキ、ふっくらっとした感じですね」。優しい言葉をかけてくださる。何年か前に、私もテグを訪問して、大司教様の手ずからの焼肉をご馳走になった。「来年の5月1日、テグで、永井先生の会があります」「永井博士の命日ですね」「如己の会で主催します。ぜひ来てください」「ありがとうございます」。お付の者が3人。白い福岡ナンバーの車で去って行った。私が言いたいのは、高貴な人も、凡人を大事にしてくださるということです。李大司教は言った。「愛のあるところ敵はない。敵がなければ争いはない」。わすれ得ぬ名言なり。
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