長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2011年12月11日日曜日
宇宙は計算で動くのに、なぜニンゲンは揺れるのか
12月8日、開戦記念日があるせいか、12月になって、テレビで、戦争の回想の番組が放映されている。ワタシはなぜか、「明治の戦争」の話は、聞きたくない。その理由は少年の頃、先生たちから、明治の戦争の話をイヤというほど聞かされて、戦争への鼓舞されたからだと思う。それに比べて、昭和の戦争は興味がある。知りたいとも思う。開戦時は、13歳の少年だった。真珠湾攻撃の放送に、「バンザイ」と喜んだ。あの喜びは何だったのか。最近の戦争の証言はあまりにも悲惨だ。80歳代の旧・軍人たちは、どれほど苦労し、ジャングルをさまよい、生きのびてきたか。今年は「人肉を食った話」もチラホラ出てきていた。生きて帰っても「申し訳ない」気持ちに揺れている。昭和を生き抜いたニンゲンの地層はあまりにも複雑だ。ただ言えることは「戦災や、戦死した人を、決して忘れない。ずーっと、覚えて共に生きている」。昨夜は皆既月食で、全国ではっきり見えたと報じていた。宇宙や、惑星は、寸部たがわず動くのに、計算が成り立つのに、なぜニンゲンには欲があり、迷いがあり、争いがあるのだろう。その背後には、大きなチカラ、愛のチカラが働いているのを知る。その愛は、決して見捨てない。いつも寄り添っている。寄り添う愛のハタラキを知らなければ、人は生きてはいけない、そう思います。★寒くなりました。今日から、2泊3日で、島原半島の温泉(小浜)へ出かけます。安全運転で、ゆっくり走ります。
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