2019年3月14日木曜日

聖コルベ記念館で、コルベ神父のパネル展が挙行。喜びで参加

今日は、長崎・聖コルベ記念館に於けるお祝い事に参加します。それで早めに日記を書きました。
★「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父のパネル展」がオープンします。その開幕セレモ二ーが行なわれるので出席します。
★東京のポーランド広報文化センターから招待状が届きました。今年は、日本・ポーランドの国交樹立100周年に当たります。また聖コルベ神父の生誕125周年にも当たっています。それらを記念して、コルベ神父の生涯と活動を写真と文章で表わしたパネル展示の日本語版が出来ました。聖コルベ記念館に展示されます。
★オープニングの式典には、駐日ポーランド共和国大使や、展示の製作者も参列されます。どのような展示パネルなのか、興味が湧いてきます。聖コルベ記念館には、巡礼者、観光客、修学旅行生たちが大勢来ます。
★だた、コルベ神父の遺品が少なく、展示されている遺品に限度があるのが残念です。一番大事なのは、コルベ神父のポーランド語で書かれた日記です。
★聖コルベ記念館は、コルベ神父が聖人に挙げられて、4年後の1986年8月に完成しました。その時は、聖コルベの部屋はなく、内部は広くオープンでした。上の写真のような形式でした。中央の展示ケースが取り除かれて、ここに部屋が出来ました。
★私は1991年4月から24年間、聖コルベ記念館の担当の修道士でした。様々な思い出がよぎります。24年といえば長いですよ。沢山の出会いがあり、いまでもご縁をいただき、感謝しています。
★どんな展示パネルなのか、楽しみです。喜んで出かけます。パネル展は15日(金)から25日(月)まで行なわれます。入場は無料です。

2019年3月13日水曜日

旧知の友次さん、自室に来る。いま盛んな、軍艦島の案内人

ホームの自室に人が訪ねて来ると、新しい風が吹いてくる。
★長崎市・神の島の友次さんが来た。しばらく傍に居て、近況を話してくれる。彼の姉妹2人がホームで暮らしている。だから時々ホームには来ている。しかし会う事はなかった。今度は「写真集」を送ったので、初めて、お礼も兼ねて寄ってくれた。
★元気そうな、お顔、表情、82歳。「風が吹いてくる」と感じたが、それは「海の風」だった。長崎の海に浮かぶ「軍艦島」。話題の島になっている。正式には「端島(はしま)」という炭鉱の島だった。コンクリートの建物が、トツ、トツと上に伸びて建ち、広い海に横長に浮かぶ。まさしく戦艦に形に見える。戦争中、アメリカの潜水艦が、この辺にも出没していた。軍艦と間違えて、魚雷を発射した、などの噂も流れた。いつしか軍艦島と呼ばれるようになった。
★毎日、長崎港から観光船が出る。友次さんは、その案内人を、かれこれ10年勤めている。港を出て、海上を約45分、島の周辺を巡り、上陸する。友次さんは若い頃、この炭鉱で実際に働いた経験の持ち主だ。その苦労話を聞かせてくれた。端島炭鉱は戦争中から重宝されていた。地下・千米に石炭堀の現場があるという。そこまで到達するのに、2時間はかかる。現場で働いた実績のある案内人、友次さんのガイドは好評だ。「ぼくのガイドが、模範のテキストになっている」と彼は笑った。
★彼が住む神の島の話も親しみを覚えた。前にも書いたが、以前は渡海船で神の島へ渡った。オラショの巡礼旅で、何十回となくお世話になった。1丁目は仏教の家々。2丁目は仏教が半分、カトリックが半分。3丁目は全部がカトリック、そんな島(島といえども陸つづき)だった。神の島教会は2丁目にある。友次さんの家も2丁目で、建てた頃は、道は狭く、周囲に家は無かった。今は家々が並び、道路も広くなり、バスも通い、便利になった。もう船は通わない。友次さんの話を聞くと、思い出と懐かしさが湧いてきた。
★「82歳にしては、元気だよな。頑張って、な」と励ましながら、彼を見送った。長崎の海風を感じるひと時だった。友次さん、ありがとう。神の島は忘れない。神の島は観光にも、お勧めの場所だよ。
★人生には、その人ならではの適任がある。それを見つけた者には、喜びの意義があるだろう。生きているからには、いい思い出を沢山、つくろう。それが幸せ。

2019年3月12日火曜日

明子さんの家で昼食会。シスターを交えて楽しい談笑ひと時

今、生きている。ふしぎなことだ。誰にでも、その不思議はある。神から呼ばれた。修道者は、その声を誰でも、もっている。
★明子さんのお宅に、お呼ばれした。右から、瀧神父さん、88歳。橋口修道士さん、85歳。明子さん、年齢不明。山の修道女院のシスター松下さん、これも年齢不明。手前に写真を写したトマがいる。
★3月は聖ヨゼフの月。19日は聖ヨゼフの祭日になっている。橋口修道士さんの修道名のお祝い日である。そのお祝いと、瀧神父さん、米寿のお年、次にトマの肺炎の病気回復の喜びも合わせて、この集会となった。
★明子さんが、ケーキも準備してくれた。数々のご馳走もある。刺身に、ほうれん草、竹の子・ジャガイモの煮物、赤飯、散らし寿司など、ホームと違った料理です。
★ケーキを見てごらん。「トマさん」「ヨゼフさん」の名前も見える。天気は晴れ晴れ。気温は春らしく、ポカ、ポカの暖かさで、しばらく談笑にふける。のんびり気持ちで、昼間のひと時を過ごした。
★シスターは、元・ホーム聖フランシスコ園で職員として働いた。話題も豊富だ。話も面白い。瀧神父さんの話は博学です。橋口修道士は85歳になったと自慢する。お互い、心が通じて賑わった。トマは聞くだけ、余り話さない。圧倒されるんだな。聞いている方が多かった。
★このように家に呼んでくれて、食べさせてくれる明子さんの存在も有り難い。入院中は、毎日、見舞いに来ていた。ホームに居ても、誰かが、こうして支えてくれている。
★明子さんの家を出ると、空き地がある。手前の黄色いのは菜の花か、水仙か。眺めが、いい。雲仙岳が見える。
★修道者は、人間であり、弱い存在でも有る。一生涯を全うするには自分のチカラだけでは進めない。祈りながら、反省しながら、助けを求めながら、我々は小さな歩みを重ねて、これまで歩んできた。自分のフトコロには何も無い。老いれば、老いるほど、自分の無力を知る。祈りながら、最後まで、この道を歩みたいと願っている。
★相手を攻めるのではなく、自分の足元を先ず見れ。相手を変えるのではなく、自分を変えることだ。それが求められる道。

2019年3月11日月曜日

衝撃・東日本大震災の日。8年前のその日、何をしていたか

8年前の「東北で巨大地震」。翌日と、翌々日の「長崎新聞」記事です。その時、私は何をしていたか。その日の日記を開いて見た。
★午後、ベッドで安静にしていた。2時過ぎにテレビを付けると、地震の知らせ。そのうち「津波が来るから、即刻、避難しなさい」と盛んに呼びかける。やがて大波が押し寄せて、家も畑も空港も海水で飲み込んだ。「恐ろしい」と絶句。刻々と増加する死者・行方不明の数。1夜あけて、被害の甚大さに、もう言葉は無い。逃げること。安否が分からない。水・食料がない。零下をさがる気温。どうしようもない。
★何年か前に、三陸を旅行したことを思い出した。あの美しい海岸が、1夜のうちに廃墟となるとは。粉々に砕け、平地になった状況を見ると、原爆の丘を思い出した。亡くなった人たちの冥福を祈る。今夜の夕食は、被災者を思い、オカズを減らそう。ポーランドのコンラードさんから「同情します。安全を祈ります」とメールが入った。世界の人が見守っている。
★翌々日は、日曜日だった。ミサで、死者のため、被災者のため、ただ祈った。言葉がない。とにかく逃げるしかない。それにしてもサイレンが鳴らなかったのが不思議で仕方がない。飛行機から押し寄せる大津波を撮影していたが、これを見ると、一目瞭然、その恐ろしさが分かる。原発が破裂した。被爆者が出た。66年目の被爆。恐ろしい。チェルノブイリの訪問を思い出した。津波は20mにも達した。45万人が被災した。テレビで見る、もどかしさ。東北地方の地図を出して、どの町、どこの場所、どこら辺まで被災したのか、全体的に教えて欲しい。それが知りたい。
★以上が、日記に書いた文章だった。遠く長崎に居て、一番もどかしく思ったのは、被災した範囲だった。全く分からない。あれから8年が経過して、新聞に、「復興は終わらない。多くの仮設住宅が残る」とある。長崎から三陸地方へ行けないが、被災者の早い復興を祈るばかりです。今日は、そことが書きたかった。

2019年3月10日日曜日

日曜日。ゆっくりと、自室で過ごしています。希望もある

日曜日。終日、雨が降っている。
★朝ミサは、四旬節第一主日でした。ホームの瀧神父さまが、ミサを司式して、お説教をした。声が大きく、マイクがよく通るので、はっきり聞こえる。高齢者は喜んで満足する。福音は、イエスが悪魔から三度、試みられた箇所が読まれた。悪魔の働き、ささやきは、確かにある。悪魔は「堕落した天使」だから、強力な力を持っている。人間は弱い存在だ。悪魔の誘いに、時々、負けそうになる。
★自室で、テレビも見ないで、じーっと、している。これと言った考えも浮かばない。「春、待つ、老い」は、絵手紙で描いた。これを載せた。もう、いやな冬も終わろうとしている。
★2月は野々村哲さん、塩沢美樹さんの協力で、「写真集」を出した。3月に入って、終息の兆しがみえた。反応は良好だった。「よかった」「安らいだ」「幸せを感じた」など、喜びの返事を沢山いただいた。ハガキが自室に届く。それを2人宛てに郵送する。2人がカードを使って「クリックポスト」で送る。私はカードを持たない。郵送代を2人に送る。200冊は、ほぼ発送した。到着が少々遅れただろう。受け取って貰って、ありがとう。1つの思い出、仕事が終わった。
★「写真集」を見て、8月には、長崎市・大浦のピース・ミュージアムで、「写真展」も開かれる話が進んでいる。こうして、1つが終われば、また1つの希望が湧いてくる。だから、この世の「成り行き」が面白い。遣り甲斐もある。誰かが、どこかで見てくれているのだ。いい方向に進んでいく。これも喜びである。
★日曜日の夜は、NHKのテレビで、韓国ドラマ「オクニョ」を見るのを楽しみにしている。夜11時からだが、もう寝ている。だから録画して見る。50回続くらしいが、いま45回になっている。1回も見落とす事なく、なぜか、このドラマは私の心を楽しく惹き付ける。朝鮮で生まれた性なのか。入院中も「オクニョ」は録画して欲しいと、ホームの担当職員に頼んだ。今夜は、その「オクニョ」がある。

2019年3月9日土曜日

昭和十四年に写した1枚。写真機の思い出は、貴重な記憶

写真のウラに、「昭和十四年四月、幸一、十二歳。ワサ、四十歳」とある。家の裏庭で写したスナップです。
★母が、幸一の胸に両手で囲んでいる。これが母の顔。飾り気の無い、素直な写真です。こういう雰囲気で母と子は生きていた。親子の愛情が深かった。北朝鮮という、本土から遠く離れた土地柄もあったからね。あの母の手の温もりを忘れない。思い出しますよ。昭和十四年、ですよ。小学校の六年生かな。この少年が、将来、苦労すると思えば、切ないよ。九十一年、生きたんだからね。
★実は、この写真を載せたのは、当時の生活の一こまを思い出したからです。母は、家で、精肉店を営業していた。朝鮮人の青年が、精肉店の店員で働いていた。彼の名前は忘れたが、彼は私に2つの印象を与えた。
★1つは、余暇があると机に向かって、朝鮮語で、何かを書いている。熱心に取り組んでいる。「何か?」と聞くと「小説だ」と答えた。「何を、書いているの?」「恋愛小説だ」。私が当時、愛読していたのは、「サトウ・ハチロウ」の文章だった。ユーモラスに書かれた文体が好きだった。「恋愛?」なんて分からない。ただ「書くこと、の興味」。それは彼から教えられたと思う。
★そして、もう1つが「写真機」だった。毎月、「少年倶楽部」が本土から送られてきて書店に並んでいた。当時の少年達は、誰もが楽しみに愛読した。「少年倶楽部」の後のページに、広告が載っていて、「写真機」があった。少々、値が張ったが、朝鮮人の店員が写真機を買って、簡単に、裏庭で写していた。それが、この上の写真です。じゃばら式で、押し込むと、箱の形になる。
★後方の箱に、上からフイルムを入れる。紙を引っ張って、外す。レンズの横にシャッターがあって、写した。現像も、焼付けも、自分で行なった。写した写真の周りの楕円の形は、そのように紙を切って、印画紙に当てて焼いた。この写真機を、なぜか、今、思い出すのです。80年経っても変色もせず、そのまま残っているのが不思議です。あの朝鮮人の店員はどうなったか、分からない。だが、父や兄、男気が無かった自分には、店員の存在から少なからず影響を受けたと思っている。
★アルバムから、この素朴な1枚の写真を今日は見ながら、懐かしいと、当時の家の部屋や、庭、店などを思い出した。この1枚の写真は、母を近くに感じる、今では自分のタカラになっている。

2019年3月8日金曜日

「はな」ちゃん、かわいい。贈り物が届いたよ。ウレシイ

「はな」ちゃんの誕生日。満3歳になった。お母さんの絵里さんが、「はな」ちゃんを食堂に連れて来た。その時に写したスナップです。はなちゃん、手作りのカンムリをのせている。「かわいい、ね」。皆さんからの声。アイドルだよ。「はな」ちゃんを日記に載せた。日記の最後に、「『はな』ちゃんへの贈り物、喜んで受け付けます」と一筆記したところ、早速、千葉県の理恵子さんから、贈り物の郵便物が届きました。理恵子さん、ありがとう。
★理恵子さんの手紙を紹介しよう。「『はなちゃんが、きたよ』をのせてくださって、ありがとう。とっても、かわいい。うれしいです。じーっと見ていたら、え?わたしも、はなちゃんに贈りたいな。Kittyのくつ下(ちっちゃい、かわいい)Set。my melodyのてさげ。りんごのふうせん(箱、りんご箱付き)。はなちゃんと、えりさんに包みました。また、はなちゃん、くるの楽しみです。みなさまに、すてきな、できごとが、たくさん、ありますように」。温かいおこころを、いただきました。
★はなちゃんは、老人ホームの人気者です。ここに居るのは、みな、老いビトばかり、忙しく働く職員さんだけじゃないですか。ピカ、ピカに、清らかに、光る『幼児』は居ないのです。強いて居るといえば、職員が時々連れて来る「子猫」だけです。はなちゃんは、かわいがられています。どんな未来が開けるのか、才能があるのか、楽しみだね。はなちゃんを長く見詰めるために、長生きしよう。