長崎・聖コルベ館を出て、ホームで4回目の正月を迎えているのに、聖コルベ館へ年賀状が届く。その年賀状を手にして、大野神父さまが自室に来た。10枚程あった。滝神父さまの分も一束あった。大野神父さまは、聖母の騎士修道院で、修道会の修練長を勤めている。私の部屋を見回しながら、「母も、(県外の)ホームで生活している。元気で、92歳になる。1月に誕生日がくる」と言った。「ところで、コルベ師の映画、見ました?」「いや、丁度、その時、天草の巡礼に行っていた」「それは残念でした」「天草の教会巡りは良かったよ」。スマホで写真の数々を見せてくれた。私にとって天草は親しみのある懐かしい土地だった。大野神父さまは長居をせずに、瀧神父さまの部屋へ行った。短い時間で、お別れした。
★天草に付いて、少し書きたいと思う。1957年・昭和32年、当時の聖フランシスコ園に、山野キマさん(78歳・旧姓三宅)が入居していた。キマさんが言うには、自分は明智光秀の13代目と自称する。光秀の家臣に、安田佐兵衛が居て、光秀が滅亡した後、佐兵衛は秘かにガラシアの弟、左馬介を伴い、九州に逃れた。その一子が三宅藤兵衛で、彼は出世して天草富岡城の番代となる。三宅藤兵衛は、島原の乱の際、天草四郎軍が攻めて来て、本渡で合戦となり、戦死した。藤兵衛の子孫は、その後、熊本本家と、島原移住の2つに分かれたが、キマさんは島原移住の子孫で、旧姓は三宅で医師の家で生まれた。彼女の持っている系図も見せてくれた。
★キマさんはホームで静かに生活しているが、長崎・シスターの学校で学び、看護学校、師範学校でも学び、日露戦争では看護婦で従軍も果たした。その後は女学校の教師も勤める。結婚して、山野の姓に変わった。秘めた生活をした人がホームでは暮らしている。
★私は、昭和32年8月に、キマさんの話を元に、天草に旅をして、三宅藤兵衛の墓参をした。本渡には「殉教戦激闘之地」の碑が立っていた。近くの店で「天草四郎おこし」を売っていた。あの頃は、終戦12年目頃だから、時代は古く、有名なガル二エ神父の、賄いをした「茂助」の養子、森口等さんにも会えた。切支丹遺物を持っている山下さんにも会った。大江には地蔵が多く、天草の乱時代の庄屋の家も残っていた。あの人たちは、今も健在であろうか。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2018年1月7日日曜日
2018年1月6日土曜日
誕生会に新年会。獅子舞も出た。長崎和牛のすき焼き
待っていました、誕生会と新年会。昼食時に、一緒に祝い、盛り上りました。1月生まれは8人です。その中に、なんと、1月1日生まれの西山達也神父さまが居られます。「ハッピーバスデイ」。皆さんが歌と拍手で祝う中、山内園長神父さまが、お花とおミヤゲを持って、誕生者の所へ1人、1人、配ります。今年の誕生会のトップは西山神父さまでした。写真には写っていないが、この後、西山神父さまに喜びの笑顔が見えた。
★新年会も一緒です。出ました。例の大きな「獅子舞」の踊りが湧かせました。獅子は、ハゲ頭も、白髪アタマも、大きなお口で噛んでいく。噛まれたら、長生きできるよ。ボケなくなるよ。新年会らしい雰囲気は最高にありました。
★食事は、3組に分かれる。好みに従って、「牛肉のすき焼き」「豚肉のすき焼き」「お魚の鍋」でした。トマの隣の席に大曾神父さま。特別食。次に瀧神父さま。栄養師さんが笑顔で言った。「長崎和牛の上等ですよ」。霜降りのある牛肉でした。4人で2パック・ケースの牛肉。おいしく戴いた次第です。
2018年1月5日金曜日
笑って暮らそう。笑えば福も来る。長生きも出来る
午後の体操が終わって、食堂へ集った。「福笑い」。今年も大いに笑おうじゃないか。笑えば心も軽くなる。楽しくなる。急いだって、仕方がない。ホームはゆっくり生きる所だよ。先ずは職員が手本を示す。「こー、やって、あー、やって、マユをつける。目もつける。ホッペタは、どこかな?」。女性が上手にやった。次は瀧神父さま。神父も合わせて頑張った。上手やったよ。次は、ボク。出来具合はどうかな。うまく行かないね。それでも、ピィースだよ。
★次に職員3人で、食べるゲームをやった。椅子に座って、後ろに、もう1人。上着を被って、手を出して食べさせる。最初は、長崎有名店のカステラだよ。ゼイタクだな。その後で女性職員がカップ・ラーメンを持ってきた。これを食べさせるのには苦労していたね。緊張が解けて、笑いが起こる。そうだ、そうだ、仲良くやろう。人も、国も、仲良くなれば平和になるのに、なぜ実現しないのだろう。今年こそ、誰の心にも福をもたらしたい、そう願って、小さな集まりを終わって、教会へロザリオに行った。
2018年1月4日木曜日
白浜さんが来る。浦上四番崩れの話を語り合った
正月休みに、長崎の白浜さんが自室に来た。聖母の騎士の「ルルドのお水」10本と、ブログ(日記)をA4の紙に起こした冊子を持参する。白浜さんは、ルルドと、修道院の屋外の仕事をしている。上五島の出身で、金沢で長年、働いていた。
★今日の話しは、「浦上の信徒でも、『浦上四番崩れ』を知らない者がいる。残念だ」から始まった。白浜さんによると、金沢は加賀百万石で、526人の浦上信徒が流配された。現地で食料不足や「はやり病い」で、105人が亡くなった。この信徒達の事を忘れてはならぬ。金沢に殉愛キリスト教の牧師さんが居て、熱心に高山右近を研究し、教会内に資料館も作っている。牧師さんは聖コルベ館にも、7、8人の信徒と共に、見学に来た。こんな感心な人もいる。
★確かに、こられの先祖達の殉教の話は、親が子どもに伝えて行かねばならない。私が始めて浦上受難の記事を書いたのは、1957年・昭和32年8月、戦争が終わって12年後だった。この時、86年前にさかのぼる、とある。3413人が流された。その年の5月26日に、流配記念祭があったが、男子1人(84)、女子3人(92)(88)(87)の4人が生存していた。私はその信徒たちを写真に撮った。名前も分かっている。土佐藩、鳥取藩、紀州に流された人たちだった。現地で生まれた人かも知れない。当時は80代といえば、高齢者であった。
★私は、白浜さんに言った。「流配から帰って、何十年か、経ったとき、記念碑を浦上天主堂に建てた。それにはラテン語で『神の仕業によって、苦難を受け、帰郷できた』と書かれている。永井博士は、その精神を基本に、『神の摂理』と受け止めたのではないか。浦上の復興が、どこの被災地よりも早かった」
★今日の話しは、「浦上の信徒でも、『浦上四番崩れ』を知らない者がいる。残念だ」から始まった。白浜さんによると、金沢は加賀百万石で、526人の浦上信徒が流配された。現地で食料不足や「はやり病い」で、105人が亡くなった。この信徒達の事を忘れてはならぬ。金沢に殉愛キリスト教の牧師さんが居て、熱心に高山右近を研究し、教会内に資料館も作っている。牧師さんは聖コルベ館にも、7、8人の信徒と共に、見学に来た。こんな感心な人もいる。
★確かに、こられの先祖達の殉教の話は、親が子どもに伝えて行かねばならない。私が始めて浦上受難の記事を書いたのは、1957年・昭和32年8月、戦争が終わって12年後だった。この時、86年前にさかのぼる、とある。3413人が流された。その年の5月26日に、流配記念祭があったが、男子1人(84)、女子3人(92)(88)(87)の4人が生存していた。私はその信徒たちを写真に撮った。名前も分かっている。土佐藩、鳥取藩、紀州に流された人たちだった。現地で生まれた人かも知れない。当時は80代といえば、高齢者であった。
★私は、白浜さんに言った。「流配から帰って、何十年か、経ったとき、記念碑を浦上天主堂に建てた。それにはラテン語で『神の仕業によって、苦難を受け、帰郷できた』と書かれている。永井博士は、その精神を基本に、『神の摂理』と受け止めたのではないか。浦上の復興が、どこの被災地よりも早かった」
2018年1月3日水曜日
食事会で語る。年賀状と挨拶の話。盛り上がった
修道院での新年・夕食会です。高原修道士さんが写したので、全部で6人居ります。ワインで乾杯、サシミ、すき焼きでお祝いした。食べながら、私は、「教区の大山神父さまから年賀状をもらった。教区の神父さまから貰ったのは初めてだったよ。大山神父さまは今、黒島教会に転任している」と言うと、黒島出身の山内園長神父さまは「オー、そうか、よかったな」と、凄く盛り上って喜んでいた。話題は大山神父さまに及んだ。信仰・司牧に熱心な神父さまで、在世フランシスコ会員でもある。高校生のため問答式の要理の本を書いた。「あれは、いいね」「あのような問答式の説明は、信徒のために必要だ」など言葉が出た。大山神父さまは、黒島の前は黒崎教会にお勤めで、私の出身の教会でもあり、私の誓願金祝を黒崎教会でお祝いしてくださった。
★もう1つ、私は皆さんに知らせる事があった。大晦日の夜、自室の戸を「トン、トン」と叩く者がいる。「どうぞ」と言って、戸を開くと、隣の部屋の男性さんが、「今年は色々お世話になりました」と挨拶された。私は、びっくりして座っていた椅子から飛び上がって、戸に近寄って、「ご丁寧に、こちらこそ。お隣り同士だから仲良くしましょう」と、あわてて応じた。年末に、隣の人に挨拶する習慣は、これまで修道士には無かった。先を越された感じでした。すると30分ほど経つと、また「トン、トン」と戸を叩く。「どうぞ」と応じると、今度は、若い男性職員さんが部屋に入って来て、(畳代わりの)ゴザに、ヒザを折って、三つ指ついて(言葉は覚えていないが)「来年もよろしく」の意味を告げた。「これにも、びっくりしたよ」と修道院の皆さんに告げると、園長さんは「ハ、ハ、ハ」と手を叩いて喜んでいた。「男性職員は、わたしの部屋にも来たよ」と瀧神父さま。元日の朝、ミサから帰るなり、隣の男性さんに元気よく「新年おめでとうございます」と大きな声で挨拶した。こころ、すっきりです。
★楽しい語りの食事会だった。ただ部屋の温度が低く、体がブルブル震えた。ホームの自室に帰ると、温かい部屋で、「いまのボクには、ホームが慣れて、いいな」と思った。
★もう1つ、私は皆さんに知らせる事があった。大晦日の夜、自室の戸を「トン、トン」と叩く者がいる。「どうぞ」と言って、戸を開くと、隣の部屋の男性さんが、「今年は色々お世話になりました」と挨拶された。私は、びっくりして座っていた椅子から飛び上がって、戸に近寄って、「ご丁寧に、こちらこそ。お隣り同士だから仲良くしましょう」と、あわてて応じた。年末に、隣の人に挨拶する習慣は、これまで修道士には無かった。先を越された感じでした。すると30分ほど経つと、また「トン、トン」と戸を叩く。「どうぞ」と応じると、今度は、若い男性職員さんが部屋に入って来て、(畳代わりの)ゴザに、ヒザを折って、三つ指ついて(言葉は覚えていないが)「来年もよろしく」の意味を告げた。「これにも、びっくりしたよ」と修道院の皆さんに告げると、園長さんは「ハ、ハ、ハ」と手を叩いて喜んでいた。「男性職員は、わたしの部屋にも来たよ」と瀧神父さま。元日の朝、ミサから帰るなり、隣の男性さんに元気よく「新年おめでとうございます」と大きな声で挨拶した。こころ、すっきりです。
★楽しい語りの食事会だった。ただ部屋の温度が低く、体がブルブル震えた。ホームの自室に帰ると、温かい部屋で、「いまのボクには、ホームが慣れて、いいな」と思った。
2018年1月2日火曜日
「はな・ちゃん」来たよ。夕食は隣の修道院で戴く
「はな・ちゃん、おめでとう」。ホームに勤める絵里さんが、「はな・ちゃん」を連れて来た。3月2日が誕生日です。この日が来ると、満2歳になります。毎日、保育所へ連れて行く。寂しいけれど、はな・ちゃんは喜んで、保育所に溶け込んでいます。保育所はホームから車で3分。迎えに行くと、持っていた人形、オモチャとお別れして、お母さんの処へ飛んでくるそうです。ホームの事は、「ジィージ。バァーバ」。確かに、爺さん、婆さんです。はな・ちゃんが育つのが楽しみです。「育つ」というのは、それだけ当方が歳を取っていくということです。
★朝食がすむと、直ぐ入浴した。初風呂になる。その後、教会で、昨日亡くなった女性の葬儀と告別式があった。山内園長神父さまは、「11年勤めるが、お正月にお通夜で、お葬式をしたのは今回が初めてだった。23年、ホームに入居して、女性は家族同然だった。神さまのお恵みを感じる」と話した。ホームで逝くのは本当に幸せだと思う。
★夕食は、隣の修道院の会食に呼ばれている。瀧神父さまと一緒に参加する。6時から教会の祈りを修道者で唱えて、それから食堂へ行きます。楽しい夕食になるでしょう。新年会です。
★朝食がすむと、直ぐ入浴した。初風呂になる。その後、教会で、昨日亡くなった女性の葬儀と告別式があった。山内園長神父さまは、「11年勤めるが、お正月にお通夜で、お葬式をしたのは今回が初めてだった。23年、ホームに入居して、女性は家族同然だった。神さまのお恵みを感じる」と話した。ホームで逝くのは本当に幸せだと思う。
★夕食は、隣の修道院の会食に呼ばれている。瀧神父さまと一緒に参加する。6時から教会の祈りを修道者で唱えて、それから食堂へ行きます。楽しい夕食になるでしょう。新年会です。
2018年1月1日月曜日
新年・平成30年・2018年・戌年。おめでとう
新年おめでとうございます。元日。教会では「神の母・聖マリアの祭日」であります。また「平和祈願の日」でもあります。
★いつもの通り、4時40分に起きました。身なりを整えて、廊下から屋外へ出ると、15夜らしい見事な月が山に落ちかかっていました。5時40分から「教会の朝の祈り」が全員で始まり、6時からミサでした。司祭から「マリアさまを通しての平和」のお説教がありました。テレビを見ても、今は真剣に平和を願う時です。
★ミサを終わって、ホームの廊下を通ると、部屋の前に数人の職員が居て、「いま、93歳の信者女性が神に召された」と教えられた。元日に亡くなる女性も居ります。70歳の時に、上五島から入居して、23年、ホームでの生活でした。入所当時は勿論お元気で、農作業などもされていた、と聞きました。元日に、神の母聖マリアの祭日に神に召されるのは、喜びでしょう。
★初日の出は見れるか、と窓から海を眺めると、海の上に灰色の厚い帯が伸びていました。海から上がる初日の出は見られない、と写真に撮るのは諦めました。
★10時から、ホームの利用者のための新年のミサが行なわれました。ホーム外の信徒も大勢祈りました。ミサが終わって写した写真です。毎年、この場で写しております。
★11時30分から新年の昼食(お祝いの会食)がありました。全員が集り、「君が代」を歌い、「年の初め」を2番まで歌いました。皆さんは、この2つの歌で育ち、大人になり、苦労した「背中に大きく通った柱」のような歌です。お屠蘇を戴いて、お雑煮を食べた。これが午前中の出来事でした。
★午後、しばらくベッドに休んだ後、パソコンに向かいました。皆さま、今年もよろしくお願いします。いま、アナウンスがありました。「3時から、教会で、お通夜を行ないます」。それでは教会へ参ります。祈ります。
★いつもの通り、4時40分に起きました。身なりを整えて、廊下から屋外へ出ると、15夜らしい見事な月が山に落ちかかっていました。5時40分から「教会の朝の祈り」が全員で始まり、6時からミサでした。司祭から「マリアさまを通しての平和」のお説教がありました。テレビを見ても、今は真剣に平和を願う時です。
★ミサを終わって、ホームの廊下を通ると、部屋の前に数人の職員が居て、「いま、93歳の信者女性が神に召された」と教えられた。元日に亡くなる女性も居ります。70歳の時に、上五島から入居して、23年、ホームでの生活でした。入所当時は勿論お元気で、農作業などもされていた、と聞きました。元日に、神の母聖マリアの祭日に神に召されるのは、喜びでしょう。
★初日の出は見れるか、と窓から海を眺めると、海の上に灰色の厚い帯が伸びていました。海から上がる初日の出は見られない、と写真に撮るのは諦めました。
★10時から、ホームの利用者のための新年のミサが行なわれました。ホーム外の信徒も大勢祈りました。ミサが終わって写した写真です。毎年、この場で写しております。
★11時30分から新年の昼食(お祝いの会食)がありました。全員が集り、「君が代」を歌い、「年の初め」を2番まで歌いました。皆さんは、この2つの歌で育ち、大人になり、苦労した「背中に大きく通った柱」のような歌です。お屠蘇を戴いて、お雑煮を食べた。これが午前中の出来事でした。
★午後、しばらくベッドに休んだ後、パソコンに向かいました。皆さま、今年もよろしくお願いします。いま、アナウンスがありました。「3時から、教会で、お通夜を行ないます」。それでは教会へ参ります。祈ります。
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