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日本26聖人の祝日だった。「広島県福山からです」と、夫(70歳)、妻(68歳)が見学にきた。「2年かけて、26聖人の道を歩きました」。京都から、旧・街道を、長崎まで、次つぎに、つないで行った。1日、歩いたり、長いときは、4、5日。平均で、25km歩いた。「結局、43日かかりました」「えらい、なあ。26聖人は33日でしたね」。夫妻の健脚を称えた。2人の表情は爽やかで、カラダじゅうから、オーラが出ているのを感じた。夫妻に問うた。「いま、人生を振り返って、思う1言は、ありますか?」。夫が答えて、「人は、それぞれに、役目がある」。妻は考えて、「神のはからいは限りなく、ですね」。そういい残して、夫妻は午後の列車で、福山へ戻った。★今朝、聖務日祷を唱えながら、文章から、ふと思った。人には、霊魂(アニマ)と、カラダがある。カラダは母親の胎内から貰う。アニマは神から頂くわけだが、天地創造の昔から、神さまの中に記憶されて、有ったに違いない。詩篇の139を読む、神よ、「あなたは、わたしのからだを造り、母の胎内で、わたしを形造られた」とある。紀元前、何世紀も以前に、詩篇に、もう、このように記されている現実に、驚異さえ覚えた。詩篇139は更につづいている。「わたしを造られた、あなたのわざは不思議」「わたしの骨は、あなたに数えられ、わたしのすべては、あなたの書に記されている」。そして「神のはからいは限りなく、生涯、わたしは、その中に生きる」とあるではないか。★それを読んだとき、瞬時に、あの福山の夫妻を思い出した次第であった。なぜ生活において、こんなに、うまく、つながるのだろうか。事の運びにも、はからいを思った。
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年2月7日木曜日
2013年2月6日水曜日
ルルドの梅。まだ3分咲き。春は遠い。生きる現実に祈り
2013年2月5日火曜日
日本26聖人殉教者の祝日。立ち上がって、一緒に進もう
2013年2月4日月曜日
同伴者に成れ。だが、共に苦しみ、共に喜ぶ、難しさ。
2013年2月3日日曜日
原稿を1つ書き上げた。騎士誌の4月号をお楽しみに
覚えていますか。昨年の元日に、聖コルベ館に最初に見学に来た母親と娘がいた。「わけありの親子」と言った。今年の正月に、最初に、あの娘が又、やって来た。「ええ、また来たの?」。その辺は、ブログに載せた。おもしろいじゃないですか。前に、いちばん。今年も、いちばん。こんな具合が、こんな構成が、好きなんだ。それで、騎士誌の原稿に書き上げた。題が「苦しみにも、意味がある」です。「汝、今は知らないけど、後になって、この意味を知るだろう」。聖書の言葉です。いま、苦しみで、辛いよね。でも、乗り越えよう。後になって、大きな慰めになる。その意味が分かるのが、信仰のチカラです。ジンセイ、いろいろ、言うじゃないですか。難しい世の中です。自分は、いいと思っても、回りの人は、そうは思わない。そこが世の中の難しさです。でも希望は捨てないようにしよう。騎士誌は、4月号になります。3月10日ごろ活字になるでしょう。作家・三浦綾子さんは、病気が進行して、カラダがガンジガラメになったとき、言った。「ああ、いまこそ神さまが、私のことを、考えてくださる」。すばらしい信仰なんですね。「よいジンセイとは、苦しみが無いことでなく、苦しみが有ったればこそ、神に出会った。苦しみに、意味を見い出したとき、すばらしい人生になるでしょう」。口ぐせになった1句です。2013年2月2日土曜日
捨てたモンじゃない、ジンセイ。思い出もあった。よかった
2013年2月1日金曜日
2月に入った。ゲンキを出せ。小さな目標で、いい。前進
最近、言われた。「疲れたカオを、しているね」。また別の人からも同じセリフを言われた。これでは、ダメだな。バツだよ。ビシッと、せにゃ、イカンよ、自分に言い聞かせる。声は、大きく、出そう。特に祈りの声を、ね。これは、マルだね。ニンゲン、何んにも言わずに、黙りこっく、なる者、あれが、いちばん、スカン。「声なりとも、ゲンキよく、よし、これで行こう」。1月は、正月があった。2月は、日本26聖人の祝日がある。3月は、誕生日だ。毎月、希望の日があるじゃないか。楽しみを、つくろう。目標を決めて、マルで、行こう。ゲンキで、行こう。偉くならんでも、いいさ。知識や、理屈では、人は感動しない。優しい目をしよう。アセと、ナミダと、愛情で、人の胸は満ち溢れ、一杯になる。欲しいのは、みちびき、つながり、安らぎ、それだね。あれほど、立派な証言をしていた先輩が、老いていくのは、寂しい。ニンゲンの弱さなんだね。長生きすると、いろんな現実を見過ぎるよ。悲しいね。★月の初めの金曜日は、午前中、黙想になっている。沈黙で過ごし、午前11時過ぎから、聖堂で、ご聖体の前で、静かに祈り、反省し、平和を願う。心を落ち着けて、修道士である喜びを、味わう時間でもある。皆さんのためにも、祈ります。祈りは、どこに届くか、ご存知のお方がおられる。
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