2020年8月17日月曜日

小崎登明の紙芝居が出来た。誰か、この紙芝居を使って活動を願います

「原爆を見た17歳の夏・小崎登明さんの原爆体験」という紙芝居が出来ました。
発起人・企画は、末永浩さん、絵は、西岡由香さん。大きさは、横、42センチ、縦、30センチ。17枚に出来ている。そのうち、数枚を紹介しよう。
原爆の日の朝、母親との別れです。17歳でした。父親は、7歳のとき、病気で亡くなり、2人の暮らしでした。
原爆で、燃える長崎。「大変な、バクダン、だぞ」
小崎さんは、トンネル兵器工場で働いていました。身体にケガはなかった。外に出て、びっくりです。
一体、何が起こったのか、わけが、わからん。
お母さんは、どうなった?心配です。
家に向かって歩いたが、実は、ここには放射能が拡散していたのです。全く、知らない小崎少年。
まだ燃えていない、崩(くず)れた家々があった。
小学2,3年の少女が、泣いている。わめいている。
「どうしたの?」「家が、つぶれて、お母さんが、中に」。瓦(かわら)の下の隙間を見ると、黒い髪の毛が見える。でも、助けられない。「どうやって、瓦を除けるのだ」。小崎少年は、どうしようもなく、その場を立ち去った。「原爆って、いうのはね、助ける事が出来ない爆弾だよ」
自宅は、燃えて、何もない。焼け野原です。母は、自宅に居たそうですが、姿がない。行方不明のままです。
近所に、仲良しの3人姉妹がいました。小崎少年は1人っ子だったから、3人の女の子が大好きでした。
3人は、どこにもケガがない。「よかったね、助かって」
しかし、怖いのは放射能です。日にちと共に、幼い子から次々に死に、とうとう3人とも死んだ。
原爆の後、小崎少年は、コルベ神父さんが創った修道院へ入りました。修道士になりました。
修道士になった時、修道士の名前を、日本二十六聖人殉教者の中の1人、聖トマス小崎を頂きました。
聖トマス小崎は、長崎・西坂の丘で、15歳で殉教しました。修道院を創ったコルベ神父も、6年間、長崎で宣教した後、ポーランドへ帰り、戦争で、殉教しました。
修道士になった小崎登明は、コルベ神父の「愛と平和」の心を受け継いで、少年、少女たちに、平和の語りべとなった。
みんな、仲よく、暮らしましょう。助け合いましょう。
暗い世の中、明るい火を灯しましょう。戦争、内戦、イジメがないように、みんなで手を取り合って、愛と喜びを広げましょう。17歳の少年は、いま92歳の老人になりました。

1 件のコメント:

  1. がぶらってぃ2020年9月1日 17:48

    カトリック系の幼稚園や小学校では
    十分に活用されるでしょうね。
    是非病院学級でも活用されたいと願います。

    恐ろしいものや苦しみから子供の人生を
    遠ざけて生活させるようになって長い
    時が経ちましたが、病を得て病院学級に
    通う子供達には、その苦しみの経験を
    ベースに、深い理解へと繋がる学びが
    得られるように思います。

    この感染症の問題がなければ、動きやすいの
    ですが、今は直接的な力に不足し、
    申し訳ありません。

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