2020年8月11日火曜日

「ざまァ、みろ」。あの先輩を助けるか。コルベ神父を知ったからには

「こころの時代」の最後は、長崎・聖母の騎士の「ルルド」へ登る。6月末の、さわやかな午前だった。
院長の山口神父さんと、高原修道士さんが付き添った。
ゼノさんが作った階段が、107段ある。
1歩、1歩、踏みしめながら、祈りながら、登る。
15歳のとき、結核を回復し、母に連れられて来た「ルルド」へ、いま登る。8年ぶりだった。
コルベ神父が開いた泉。あれから90年近くになる。キレイな水が、こん、こんと、湧き出る。
けがれなき聖母、ルルドの聖母を仰ぎ、挨拶して、マリアの泉を飲む。母と、一緒に、飲んだ泉。変わらない。
人生、どれだけの苦難があったろうか。悩み、喜びがあったろうか。泉を飲めば、すべて忘れる。
ほほ笑みに変わる。「マリアさま、導き給え、守り給え」
ディレクターが最後の質問をした。「『ざま、みろ』と告げた先輩に、いま、どんな声をかけますか」
トマは、即座に答えた。「『大丈夫か』か、それだけだね。手を伸ばして助ける事は、勇気がいる。だけど、コルベ神父さまを知った以上は、助ける人間になりたい、心の隅にある。起こして、助けるか、人間の弱さが、まだ残っているから、わからない」
母に連れられて来たルルド。原爆の朝、「行って来るケンね」と言って別れた。いま、ルルドのマリアさまに言う。「帰って参りました」
陽の光が、茂る樹木の葉の間から、サン、サンと輝いていた。安らかなルルド。人生、振り返れば、何度、倒れたか。コケたか。その度に、立ち上がって、前へ進んで、いま、ここに居る。「生きるとは、感謝の呼吸しか、ない」

3 件のコメント:

  1. 母に連れられてルルドに参詣したいたいけな少年が、92歳となりルルドを背にして写真に収まる・・・感慨深いです。トマさんの滋味深いお顔が輝いています。とても良いお顔をなさってらっしゃる。

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  2. がぶらってぃ2020年8月12日 10:52

    ルルドでのトマさん、山口院長神父さん、高原修道士さん、お揃いの写真に整然とした輝きを感じます。完璧にあるべきところにおさまっておられる。神の導きの記しと受け止めました。これが聖母の騎士の体現なのでしょう。

    色々なお祝いの場面での神父さんや修道士さん達を撮影した集合写真を見たことがありますが、こちらのお3方の写真には、全く違う穏やかな安定を観ました。赦しがあるのでしょうか。心が落ち着く写真です。これからも、たびたび大事に見せていただきます。

    7月末に数日にわたってトマさんが書かれた「こころの時代」に関する日記を拝見しても思いましたが、”物語の連続性”という意味では、トマさんが書かれた流れによる描き方のほうが、伝えるべきところを押さえていると思いました。トマさんのキャリアの厚さでしょう。(テレビのまとめ方を悪く思っているのではありません。祈りの違いなのかもしれません)。

    トマさんの帰着については、別のコメントとも重複してしまいますが、ルルドで到達された1点は、また新たな始まりになるのだろうと考えております。ここにも、瀧神父さんのおっしゃる「変容は希望」があるように思えます。カトリックの普遍性を思います。

    番組内でトマさんがおっしゃったように、人には、本人が気付いていようといまいと、転んでいたり傷を得ていたり、それぞれの痕ありますね。がぶらってぃも気付かずながらくじきや転倒の多いようで、後で知ったら滑落していたような人生ですが、今ここでは、トマさんの日記に導かれて、前へ進むことができています。これも自分への赦しの一歩と受け止めます。

    トマさん、毎日ものを考え、深められる時をありがとうございます。

    現代において、トマさんが

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  3. がぶらってぃ2020年8月12日 10:57

    ↑申し訳ありません。コメント公開処理を間違えました。

    現代において、少年時代のトマさんがワサお母さまとルルドに上がったような体験をして、修道に入るという恵みを得る子供は多くないのかもしれません。ですが、日本のどこかには必ず居るはずの少年に光が当たるよう祈ります。

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