「やあ、久しぶり、神父さま」「3年ぶりだよ」。自室を訪問してくれた、ブラジル宣教師の松尾神父さま(写真・中央)です。右は案内の湯江修道院の院長・浜田神父さま。左は運転の長崎・聖母の騎士の川渕修道士さん。「ブラジルには思い出がありますよ」
★ずっと以前に、「日本26聖人」の映画を持って、松下修道士と2人で、ブラジルで上映会を開いた。移民の日本人や日系2世などのため、各地で上映して好評であった。お世話をしてくれたのが、松尾神父さまです。千六百Km離れた遠方から、24時間バスに揺られて、見に来た女性も居た。山脈で、老年の日本人司祭は巣箱にハチを飼い、「プロポリス」を生産していた。その司祭は、健在で、今もやっているという。
★その司祭と、若いシスターたちは、山あり谷ありの場所で、診療所や子供の家を建てて、病める者、貧困の子ども達の友となって奉仕の活動をつづけていた。小さな聖堂で、日本語のミサにあずかった。ふと祭壇の脇を見ると、ヒザの高さ程の木の板が立っていた。そこに刻まれた絵に目が釘付けになる。最初は、キリスト像に見えた。しかし、ジーッと見つめていると、それはキリストではなくて、人間の姿であり、私の姿であり、人間が十字架(苦しみ)を抱えている姿に見えた。
★人間は誰しも、このように苦しみを抱えながら、この世を生きている。何ぴとも、苦しみから逃れられない。そこに人間の、苦悩の問題がある。ブラジルには沢山の苦しみがあった。病気、貧困、孤児たち。とはいえブラジルを回って感じたことは、不思議と人間の肌の匂いに触れた思いだった。日本には物があり、豊かだが、無関心、無気力に落ちたかに見える。ブラジルには多くの悩みが有り、痛みがあるが、それらが激しくぶつかり合っている。日本人のシスターの言葉ある。「ブラジルの人たちは貧しいのに、こんなに皆が助け合う国民はないでしょう。自分は貧しいのに、何人の、他の子供の養育も、自分の家庭で行なっているのです」
★ブラジルの山奥で発見した「この絵」は、今も私の心の中に残っている。松尾神父さまに、この絵のことは話さなかった。彼は又、ブラジルに戻る。司祭になって以来、ブラジル宣教に人生を捧げてきた。その業績は尊い。もう老境に入っている。健康に気をつけて、がんばってください。
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