茨城の久義さんから、ホームにリンゴ2箱が届いた。「金祝のお祝いに参加したい。お土産を持って来ないから、リンゴを先に送ります。大曾神父さま、西山神父さま、村山修道士さん、トマさんで分けて食べて下さい」。トマは10個取って、後は3人で分けた。蜜が入った美味しいリンゴだった。自室の周辺の信者女性たちと食べた。
★久義さんとは、ご縁がある。彼が聖母の騎士園から、学園(小神学校)に入学する時、中学生の彼に「ラテン語」を教えた。当時のトマの日記手帳に記してある。1954年(昭和29年)2月20日「夕食後、久義にラテン語を教える。第1活用、第1変化、第2変化、来週は形容詞に入る」。2月28日「明日から代名詞に入る」。3月4日「神父さま、修道士、トマ、久義を呼んで茶話会」。3月27日「久義のラテン語、第5変化」。4月9日「久義、他2人の入学者も居た。神父さまと送別会。久義は小神学校へ行った」。「久義に冗談を言った。『ラテン語5の成績でないと帰ってくるなよ』。今となっては、日記の記事も懐かしい。
★金祝の当日、教会の中で、今からミサが始まろうとする時、久義さんがトマの席の横に来て、声かけた。「誰だ?あなたは?」「久義だよ」「ええ?変ったな。社長サンの如くある」。すると久義さんは、ファイルに収まった手紙のコピーを渡した。「この手紙で、人生、力づけられた」と言って、彼は少し涙ぐんだ。パラ、パラとめくれば、小神学校へ移った年の久義宛のトマから手紙だった。いま残念に思う。あの時、久義さんを写真に撮ればよかった。ミサが終わり、記念のパーティとなる。大勢の人数で、久義さんと話す機会を失った。
★パーティでは、トマは枝美子さん(竹内管区長神父さまのお母さん)の隣に座って、食べ、話し、すっかり好い気分になった。久義さんのファイルは、イスの下、床に立てて置いた。用件があって、席を外して、そのことでファイルの存在を忘れてしまった。帰りの車に乗って思いだす。高原修道士さんに頼んで会場を探してもらった。「ない、よ」の返事。がっかりしてホームに帰った次第です。
★その夜、枝美子さんから携帯に声が入った。「トマさん、大事な物、わたしが持っているからね。ハハハ(の笑い声)」。ああ、有ったのだ。安心して眠れた。翌日、ファイルは届いた。改めて、当時、自分が書いた手紙に遭遇したわけだ。久義が小神学校に入った年に4通。3年後の1957年の手紙が1通。年代の記載はないが、退会して、結婚する話があった頃の手紙が、2通あった。「秋になると、結婚式ですね」。そして長い年月が経過した。昨年か、結婚50周年の金祝を迎えた、と通知があった。こうした一連の流れを考えると、ジンセイって本当に長く、様々な出来事、出会いが起こるんだね、そう、しみじみ思います。久義さん、君の写真をも撮らなかったのが、残念だよ。この日記に載せたかったのに。リンゴでガマンするしかないよ。
★ファイルには、彼が入学する前にトマが書いたラテン語の手紙が残っていた。「いま読んで意味が分かりません」
お手紙が見つかり良かったです、お写真の美味しいリンゴと塩沢様、竹内様、小崎様の笑顔は多くの方との
返信削除大きなつながりと、大きな不思議を感じます、
ありがとうございます。