鳥取のみどりさんから、ナシが届いた。二十世紀のナシです。ホームに入って3年を過ぎるのに、忘れないで送ってくださることに感謝する。夜に、お礼の電話をかけた。
★私も、色々の場所を旅行したが、鳥取の旅が最後になった。みどりさんは、私がいつ鳥取に来て、何日に帰ったか、その日を携帯に入力していると言った。愛情が伝わってきて、うれしい限りです。
★3年が経って人生がこんなに変わるとは、想像もできない。3年を数えれば、もう生活は落ち着いた。からだの痛みがあっても、あわてない。血液検査の数値も気にならない。今日を生かしてもらっている気持ちです。それだけで、よい。自分が生まれ、生きてきた道は、この道であった。振り返っても、悔いはない。ただ、いつまで自分の足で歩けるか。足の不安は限界まできている。
★人のために尽くすことがない。人を助けること、奉仕することがない。そのことが最も、さびしい。野々村哲さん(トマさんのことば・編集者)が、時々、聖コルベ館の資料室へ行って、私が修道士のときに写したフイルム帳(56冊)をメモリーカードに入力してくれている。修道士たちの生活の数々、良い写真もあるという。また、何かが生まれるか、楽しみにしている。夢がなければ、一日の生活がわびしい。
★鳥取では、みどりさんにお世話になりました。鳥取といえば、鳥取の砂丘でしょう。砂丘にも行きました。砂丘のラクダにも乗った。人生、最後に乗った乗り物は、ラクダと言える。実際は、ラクダの揺れは、そう楽なものではなかった。外から見るより、しんどかった。世の中は、そういうものです。見た目のように、行かないのが、ジンセイです。
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