秋分の日。山の養護施設では、園のお祭りがあった。私は、2度にわたって、11年間と、6年間、合わせて17年、この山で生活しているので参加した。
★知らせてくれたのは、藤下先生だった。「一緒に行きましょう」と、ホームに誘いに来てくれた。施設の児童も少なくなって、子供の日など賑わっていたが、今年は見送った。その代わりに、今日、同じような屋台が実施された。山の修道女会のシスターたちも、参加した。施設の子供たちを見ると、彼らは未来に夢を描きながら、元気に育っている。屋台は楽しみでもある。カレー、焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、アイスなど、テントが張られ、サービスが行なわれた。私も、おいしく頂いた。
★私の後の6年間は、施設の別棟に、施設の子供たちだけが通う私立の小・中学校があって、そこに勤務していた。施設の児童たちは、それぞれ悩みや寂しさや、親恋しさなど、小さな胸に大きな課題を抱えていた。それに応対し、教育する我々も大変な苦労があった。校長を勤め、藤下先生は教頭だった。当時の児童には一言で言えば「豪傑」が多かった。彼らは、その後、どうなったのか。今日は、園長室で、その話も聞いた。ある男の子は、施設の学校や、施設でも苦労が多かったが、卒業後は、幾多の試練を得て、結婚式に呼ばれた。彼は晴れの舞台で、自分の育ちと社会生活を赤裸々に語り、最後に、新郎の彼は、母親に向かって、「私は、母親から1度も抱かれたことはなかった。それでも、私を、産んでくれて、ありがとう」と花束を渡したという。私もよく知っている子だった。「あの子が、ねぇ」。人間、変わるものだなァ、と感動した。
★山の生活で、私は6年間、1日も学校を欠席しなかった。風邪も引かない。その原因は、清純な空気、山の爽やかな風にあったと、今日は感じた。藤下先生も帰りの車で言う。森林浴で元気が出たんですよ。
★ポーランド人シスターや、ベトナム人のシスターとも語り合った。ベトナムから両親が修道女院へ訪ねてきたが、福岡空港の都会から、山また山を越えて山、この山に連れられて、びっくりしたと笑っていた。
★いろんな人に出会えて、楽しい1日を過ごした。幾分、前もっての、ステント入れ換えの慰めと、気力になったと思っている。
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