2017年9月5日火曜日

目は不自由でも、神社の階段、上り下り挑戦。負けぬ

「人生に、何が必要か。それは希望と、勇気でしょう」
★トマちゃんが、修道士たちの所へ戻ってきた。修道院の一角、家を借りて、改築して、住むようになって、もう、かなり経っている。両目が不自由なのに、高級なカメラを使って、美しい自然界の風景を撮る。最近、ハマッテいると聞こえたのが、神社の階段を上り下りする健康づくりである。足を鍛えるために、頑張る。「このヘンの神社は階段が短いので、週に1回は長崎の諏訪神社の階段にいどみ、10回、上り下りしている」と聞いた。
★ホームの人は自分も含めて、歩いたり、階段の上り下りに苦労しているのに、足を鍛えるために、階段だけを求めて、体力づくりの者が近くに居るとは、黙ってはおれない。1度詳しく尋ねてみようと彼に聞いた。トマちゃんの自慢に迫る。
★戦争が終わって10年程経った頃、トマちゃんは養護施設に居た。私もその頃、施設の修道院で療養していた。「トマちゃん、トマちゃん」と可愛がられた小1の頃の彼を良く知っている。他の少年たちからイジメられ、「ハロー、ハロー」と、ひやかされる。トマちゃんは「ハローじゃ、ないよ」と、抵抗しながら、ビョン、ピヨンと飛び跳ねて逃げた。目が不自由なのに、ちゅうちょしない軽快な足裁きを不思議に思った。
★27歳のとき、施設を出て、盲学校の寮に住み込み、マッサージ術を覚え、免許を取得した。群馬県の温泉町で長年働いた。いつの頃からか、足を鍛えるために、神社の階段の上り下りを始めた。近くに365段の神社がある。朝、夕方、2回づつ挑戦をつづけた。高崎観音山には、518段がある。8分で往復したよ。しかも2回も実施した。
★もちろん仕事は熱心で、同業者の何倍も、マジメに稼いだ。結婚もした。奥さんは早く亡くなった。10年ほど前に、仕事を切り上げて、趣味に生きていたが、幼い頃、育てられた修道士さんが懐かしく、湯江の修道士さんを頼って戻ってきた。湯江の神社は100段しかない。それでは、つまらないと週に、2、3回は長崎の諏訪神社へ行って、200段を、10回挑戦している。
★それを聞いて、感心するやら、驚くやら、もう何も言えません。「何のために、そんなに、こだわるの?」。目的は自分の健康を保つためで、人は足からダメになると彼は言う。それは本当です。私の近くに、こんな、こだわり人間が居たとは、もう何も言えません。脱帽です。彼は食事は、2度しか食べない。1度の時もある。「それでも病気にならない」。座右の銘も、何も無い。ただ神社の階段に挑戦する。
★ホームの墓地に、奥さんと自分の墓を作った。「永遠の絆」と大きく書いてください、と頼まれる。トマちゃん、まだ、まだ大丈夫だよ、と思いながらも、希望の字を書いてあげた。
★幼児から、目の不自由さという苦境にもめげず、人生を明るく希望とマジメさを基本に、70年生き抜いたトマちゃんは、また、元の修道士たちの処へ戻ってきた。そのトマちゃんの生き方に感心する他はない。日曜日には、湯江教会のミサで、祈る姿を見る。

2 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2017年9月5日 21:03

    今日のような気持ちの私には
    トマちゃんの希望と勇気の日々が
    心に響きました。感謝の内に

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  2. 私の故郷は群馬の小さな村ですが温泉地があって、やはり何人ものマッサージの方が住んでいて、沖縄出身の方もいました。父母はマッサージ組合の旅行にボランティアを兼ねて、よく参加していたようですが、みなさん自分の収入があるので、存分に楽しまれていたようです。「お付き合いするのが大変だ」と言いながらも、父母にとっても毎回たくさんの気づきのある楽しい旅行となりました。あの頃父母から聞いた話が私にも助けとなっています。
    トマちゃんさん、群馬でいい思い出がたくさんできていたら嬉しいです。

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