ポーランドで、ゼノ修道士の映画を作るという。取材班の一行がやってきた。題は「限りなき愛」。ドキュメント映画で、30分。ポーランド外務省宣伝の映画になる。午後から、2時間ほど、ゼノさんとの出会いや、思い出を語った。ゼノさんのような奇才は、もう出ないだろう。無欲で、貧しい人に対する兄弟愛で生涯を貫いた。
★15歳、母に連れられて、聖母の騎士のルルドに参詣する。度々、ルルドに来ていた。ルルドを掃除することもあった。ゼノさんは受付に居たので、当然、会っている。ゼノさんは、コルベ神父の時代に、騎士誌を配布するために、長崎市内を修道服姿で周っていた。長崎の人によく知られていた。日本語がヘタなところが愛嬌があった。ブラザーゼノは、ポーランドでも名の通った人物だそうだ。
★17歳。原爆の後、雨にぬれて、聖母の騎士の扉の捕り手を引いた。修道院の奥で、「チャラン、チャラン」と鐘がなる。ヒゲが美しいゼノ修道士が顔を見せる。中に入れてもらった所で、ゼノさんが聞いた。「お姉さん、どうしました?」。母が若かったので、お姉さんと間違えた。「原爆で、死にました」。ゼノさんの青い目から涙がこぼれた。
★ゼノさんを知っているとはいえ、ポーランドから私の処にも取材に来るなんて、光栄な出来事だ。修道服に着替えて、応じた。思い出してみると、テレビには、もう何度も映っている。原爆の体験もあったし、日本26聖人の映画もあった。「修道士の半生・生かされて」(48分)もあった。生き方が、一本道だったからであろう。
★お世話をしてくれたのは、ポーランド在住の写真家、山平茂美さんだった。一緒に同行している。明日は長崎の聖コルベ館を取材する。ゼノさんの遺品は沢山残っている。
進駐軍のアメリカ兵と語り合うゼノ修道士の映像が動画の途中にあります。ぜひご覧ください。隣の修道士は誰ですか?
返信削除https://www.youtube.com/watch?v=R-MJEr00_KY
youtube の 動画です。
『ながさき原爆記録全集 第15回 総集編 2016年第53回ギャラクシー賞報道活動部門奨励賞 ネット版』
ゼノ修道士様の映画素晴らしい事です。
返信削除コルベ神父様のお取り次ぎですね