傾聴ボランチアの女性が、午前中に来る。ただ、こちらの話を聴いてくれる。何を語れば良いのか、迷う。こちらが、えんえんと、シャベルだけ。話すだけ。約40分ぐらい。覚悟の上で女性が来るのを待っていた。前に撮った写真だが、表情は全く変わらない。3月とあるから、7ケ月になる。
★女性は免許を持たないので、バスで、島原半島の小浜から、諫早で又バスに乗り換えて、わざわざ来てくださる。聴いてくださる。ありがたいことです。そういう奉仕に徹する気持ちがあるのを尊敬する。バス道の途中に、千々石(ちじわ)の海沿いの町がある。今日の新聞に載っていた、千々石(ちじわ)ミゲルの墓を掘りこした話題を先に語った。聴くだけの奉仕だから、話題は盛り上らなかった。
★さて、悩み事って、何があるのか。何を語ればいいのか。「困るなァ」とも思う。でも、定期的に傍に来てくれるのは、嬉しい。2人で語り合えば、必ず文句が出たり、批判したり、自分を良い者にする。だが傾聴は、聴くだけだから、こちらの舞台となる。自分の悩み事を述べるのだ。語っているうちに、なぜか、心の整理が出来て、何やら、すっきりする。だから傾聴とは、意味がある。
★訴えたいのは、足の痛みであろう。歩くのが、億劫(おくうう)になった。これから先、どうなるのか、それが心配です。昨日も病院を2つ回って、お見舞いをしたが、病院の長い廊下を歩くのが精一杯、重荷だった。これは、どうしようも、ない。ホームに居ると、この先どうなるのか。先達たちが身をもって教えてくれる。小耳に挟んだ言葉に、「75歳のときにホームに入った。20年になります。入った頃は、ホームにも畑があって、今は駐車場になっている。その畑で収穫作業を楽しんだものです」。元気だった女性も、今は押し車で、やっと歩いている。
★老いゆれば、イノチのことも考える。長く生きたい。誰でも、気持ちは一緒。それなのに、若くして、中学生で、イジメが原因で自殺するなんて、本当に悲しい。心が痛む。これから素晴らしい人生が開けるのに、もったいない。狭い世界を見ないで、大きな世界に目を向けて欲しいと思う。そういう教育をして欲しいと思う。
★わが悩み事を本心から語れたか、どうか。時折、良いセリフも出るが、思いつくまま語るので、つながらない。それでも、傾聴ボランチアさん、また来てください。
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