映画を見に行く。「少年H」という奇妙な題である。太平洋戦争が始まる少し前、昭和16年の春から、小5の少年を通して、この物語は神戸を舞台にスタートする。家は、洋服店。父と、母と、妹の4人家族。母親が、「H」と大きく描いたセーターを着せてやったことから、その名で呼ばれた。やがて戦争が開始され、市民は銃後にいても、戦雲のなかに巻き込まれていく。ご真影(天皇・皇后を祭る社)や、二宮尊徳、スパイの監視など、この家族は、キリスト教の信者の一家だった。欧州から逃れてきたユダヤ人の服を修理したことで、外国と密通していると官憲に疑われ、拷問にあう。家族は熱心に信仰するが、迫害もされる。だが、くじけない。中学生になると、軍事教練で鍛えられる。ビンタを叩かれる。少年といえども、苦難の連続だ。やがて昭和20年3月、神戸は大空襲に見舞われ、全部が焼け野原となる。映画セットの家屋を全部、実際に燃やした。一家は家を失ったが、幸い、家族は無事だった。戦争を通り越して、平和が訪れる。「少年よ、いまこそ、自立し、決断するのだ」。自分で足で、しっかり踏ん張って、生き抜くときがきた。苦難を通り越して得た自由の日だった。「この少年を見ていると、自分の少年時代に重なってくる」。少年には、明るい未来がある。焼け野原の市街は、原爆の浦上の丘と同じ風景だった。自分も、あの原爆の丘で、実際、大きな決断を余儀なくされた。映画の終わりに、自分はポーランドの司祭や修道士にお世話になったことを思い、あの優しい修道者たちの顔、顔が、次々に浮かんできた。あのとき、自分は、よく、この道を決断したと思う。足に巻くゲートルが懐かしかった。行進して、よく、歩いたもんだ。少年は今、我々に何を訴えるのか。過去の戦争という苦難を通って、今の繁栄がある。映画の少年が、いまの時代に生きたなら、「ああ、我々の苦労の愚かさよ」と、ナミダを流すに違いない。
少年Hこと妹尾河童さんは83歳の舞台演出家でお元気です。
返信削除リベラルな洋服屋だった父親と情け深い母親のもとで、精神的に軍国少年でなく育った珍しい方。「戦争はいきなりやってくるものでない、1度起こしてしまったら、それを治めるのはものすごくエネルギーがいる。この映画でそれを感じ取ってほしい」と願っている。私はかつてこの小説を読んだ時、この時代にあって「戦争反対!」と言えるのは何故だろう?と理解できませんでしたが・・・。