東北から、1人で、若者がやってきた。「小崎サンですか。最近、騎士誌を読んで、また、ブログも見ています」と言う。「長崎のコルベ神父」と「身代わりの愛」を持参。ありがとう。「10数年前に、両親と、小学生だった自分は、いっしょに来ました」「やあ、なつかしい」「ワタシは覚えていないが、母が、小崎サンとお話したこと、よく覚えています」「ひょっとしたら、サインが有るかも」。サイン帳を探したが、残念、名前は無かった。「いま、大学4年です。卒論に取り組みます。テーマに『コルベ神父』を選びました」「ああ、よかった。がんばってね」「ハイ」。うれしいじゃないですか。コルベ神父を勧めたのは、担当・教授だった。「えらい先生だね」「なにか、ヒントになること、語ってください」。小さい録音機を机に置いた。修道士は、ペラペラと、語り始めた。まず自立だね。お父さん、お母さん、お世話になっている。しかし、いつまでも、ダメだよ。自立の精神で、コルベ神父のように愛の深い人生に立ち向かっていく。愛は、すべてを包むからね。愛は、厳しいものだよ。完全に奉献して、完成する。「ハイ」。若者はカトリックの洗礼を受けている。こころ優しい学生だった。「卒論、仕上がったら、また、おいでよ」。この若者のことは、覚えておこう。数日して、手紙がきた。「小崎サンのアドバイスを生かして、論文をしっかり仕上げます。またお話しに来ます」
金子君は、修道会に入りました
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