長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年8月30日木曜日
入院3日目。又また、1つの山を越えました。助かったぞ
。3人部屋で、昨夜は、尿が1滴も、出なかった。尿が出ないのは、心理的に、参ってしまう。朝、外来診療まえに、お医者さんが来られた。「このあいだ、ステントを入れ替えた。血液検査で、腎臓の機能が低下している。早めに、もう1度、ステントを入れ替えましょう」。お医者さんは、更に神妙なお顔でつづけた。「熱が、高い。尿が、全く出ない。腎臓機能が落ちている。朝から早急に、ステントの入れ替えをしますが、それでも尿が、出ないときには、『一時的に、人口透析』も考えてください。他の方法も考えましょう」。そう言われて、さすがに、『透析』と言葉を現実に聞いたときには、ショックだった。「ああ、そこまで、来たのか」。自分でも確かに、体調も良くない。そのとき、思った。「病者の塗油の秘蹟を、早めに考えよう」。手術室に入って出るまでの時間は、約1時間だった。局所麻酔で、実際の処置の時間を尋ねると、13分と手術着を着た男性が教えてくれた。処置を始めると、「ドバー」「ドバー」と、順調に、熱い液(尿)が出た。前にも、例があるから、分かる。「おお、助かったぞ」。心中、叫んだ。『人は、普通、誰でも、苦しみよりも、楽(らく)をください、というだろう。そりゃ、絵に描いたモチよりも、生身のダンゴが、いいわね。しかし、手術室から出てきた病人は、一言、いいます。助けて、くれ』。1人の部屋に、移った。
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