長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年8月1日水曜日
コルベ神父の身代わりは、1941年7月30日だった
昨日の日記に、3つのコメントがあった。①エリザベットさんから、「コルベ神父の身代わりは、7月31日ですから、14日間は特別な祈りと思いで過ごします」。その心遣いに、ハッとしました。日にちですが、②ポーランドのコンラドさんから、「ミハウ・ミヘルヂィンスキさん(2006年没)の証言によると、身代わりは、7月29日に行なわれた」。更に又、③コンラドさんから追信、「点呼は7月29日で、その後、収容者たちは夜中も立っていた。身代わりは、7月30日です」。小崎の『身代わりの愛』(1994年刊)には、「オシエンチムの公式記録書には、7月29日と記載してある」。おそらく、29日に点呼があり、逃亡者の確認があった。収容者たちは一晩じゅう立っていて、翌日の30日になっても、逃亡者が見つからないので、10人が餓死刑を言い渡された。8月に入って、コルベ神父の餓死室での苦しみが始まります。コルベ神父を愛する皆さん、私たちは、コルベ神父さまの殉教を思って、祈りながら、殉教の日まで、8月14日まで過ごしましょう。祈り。「神よ、あなたは、アシジの聖フランシスコの忠実な弟子・聖マキシミリアノ・マリア・コルベを無原罪の聖母信心の使徒として、私たちに与えてくださいました。私たちにも自分のすべてを惜しむことなく、あなたに委ねる力をお与えください。栄唱1回、アヴェ・マリア1回」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
不思議なことに 身代わりの日を 私が知りえたのが 先日 まさに その日でした もっと不思議なことは マリア様のおメダイを 信者でない 私が持っていたこと 四月号の聖母の騎士の記事で なんか家にあるペンダントヘッドで 見たことある
返信削除と思い よく見たら まさに 表も裏も そのものでした ありがたい
14日まで教えて頂いたお祈りを捧げ過ごします。
返信削除そして、殉教の日が過ぎても日々祈ります。
小崎修道士さん有難うございました。