神父は、10数人の顔を見渡してから、聖書を開いて読み上げた。「神の恵みによって、今日の私がある。私は多く働いた。しかし働いたのは私でなく、神の恵みなのです。(コリントⅠ、15-10)」。そして神父は語り始めた。「神の愛とは何ですか?愛は感じるものです。呼び水というのがある。ポンプもそうです。人の心に呼び起こす力は、自分が、ずーっと以前から、愛されていたことに気づく時です。『あなたは、神に愛されている』と、よく言われる。信じるしかない」。神父は一呼吸ついてから、次のコルベ神父の言葉を告げた。「心の内に、愛を宿せば、宿すほど、苦しみの必要性を感じるようになるでしょう」。神父は語気を強めた。「その心は、愛する、兄弟を愛する、神を愛する」。しばらく沈黙がつづいた。神父は、ここで話題を変えた。「出逢いで、目が開かれ、良いものに、大きいものに変えられていく」。私が口を挟んで問うた。「出会いの本質は何ですか?」。神父は答えた。「因果のなかに縁が入る。出会いのなかに、エピソードがある。これはアメリカの学者が言った。『ストリー、スピリチュアル』。エピソードのなかに神秘性がある。エピソードを通して、神が語りかける」。私は心の中で思った。(因果に縁とは何のことだ?出会いに、エピソード。神の語りかけ。これは私に合うことだな)。神父は更につづけた。「いま、自分が、どの位置にあるか、考える。神の、私への愛を味わってほしい。今度は、私の、神の愛を考えてほしい」。神父の話の、私のメモはここで終わっている。2007年8月20日の出来事だった。あれから5年が経過したが、なぜか、私の思いに残っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿