
長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年7月31日火曜日
7月も終わりです。日記も、何を書こうか、迷う日もある

2012年7月30日月曜日
ポーランドのコンラドさん、配本のため頑張ってください
ポーランドのコンラドさんから、メールがきた。「今日は11冊の本を配りました。田舎に住んでいる友人に、6冊の本を送りました。お話しのとき、友人はとても喜びました。『神さまに感謝。早速、お祈りをしましょう』。4冊の本をカトリックの家庭に配る予定です。2冊の本を、教会の司祭に渡すつもりです。その本の1冊は、教会の図書館に届ける予定です。クラクフの友人に、5冊の本を渡しました。電話で出会いを決めました。早速、家内とその夫妻のところに行って、2時間ほど話しました。小崎さんからのギフトについて語りました。2人はとても喜びました。『お金を払っていいですか』『いいえ、払ってはいけません。ギフトです』と私が言いました」。以上のコンラドさんからの活躍メールを見て、今日、朝から長崎の郵便局に出かけて、コンラドさんへ少々の活躍の基金、500ユーロを送金した。「これで本を買って、配ってください。奥さんにもお世話になっている。ケーキを買って、差し上げてください」と、メールを送った。私は、今からでも、ポーランドへ行きたい。本の普及のため、マスコミに出て、宣伝したい。そんな気持ちです。原爆も、戦争も、強制収容所も、2度とないように願っている。
2012年7月29日日曜日
ごらんの通りのカオで、ゲンキにお勤めを果たしております
2012年7月28日土曜日
昔の写真に感動。祈り働け。修道服を着ての作業は苦難だった

2012年7月27日金曜日
ポーランド語版のマンガ『焼けたロザリオ』。がんばれ

2012年7月26日木曜日
ゲンキを取り戻した。活力が湧いてくる。梅雨も明けたぞ
2012年7月25日水曜日
昨夜の出来事。人生、山あり、谷あり、十字架もいっぱい有る

2012年7月24日火曜日
話す内容は体験か、個々の問題か、どちらが共感を呼ぶか
2012年7月23日月曜日
押し付けない。ゆっくり休みなさい。またゲンキをもらって
2012年7月22日日曜日
エピソードの中に、神が語りかける神秘性がある。因果の縁

2012年7月21日土曜日
夏休みか。子ども達がやってくる。いい子になれよ
2012年7月20日金曜日
聖コルベ館には出逢いがある。座っているだけで、恵みがある
2012年7月19日木曜日
予約の診察。医院を回る。生きてこそ、喜びも、ある
朝から3つの病院へ向かう。①泌尿器科へ予約の診察。これが一番、気持ちが重い。ボウコウの細胞診は(Ⅱ)、お医者さんは大丈夫と言う。問題は腎臓の、フニャ、フニャ、カタマリです。ビール色の尿は、幸い、黄色い尿に戻った。出る度に、一喜一憂するのは、疲れる。お医者さんが、尿の異変があったために、病院に来れないときのために、抗生剤を処方してくれた。ボウコウは今のところ治まり、さあ、今年はゲンキになるぞと、気合が入っていたのに、急に腎臓に異変が生じ、尿が全く出なくなる騒動が数回も起こって、ダメージを受けた。なんとか、この現状を切り抜けたい。出会う人は皆、「ダイジョウブですか、カラダは」と案じてくれる。「お顔の血色は、いいようですね」「あたり前たい」。次いで、②心臓のクリニックへ向かう。不整脈のクスリを処方してもらう。待合室には30人ほど居て、長い時間、待った。③耳鼻科へ移動。耳の治療を行なう。時計は12時30分になっている。新大工町のシーボルト通りで、ウドン屋へ入り、冷やしソーメンを注文した。スル、スルっと、ノドに入って行った。おいしい。果物屋で、スイカの切れ端を買って、午後1時30分に帰った。午後は休みます。
2012年7月18日水曜日
若者は、笑う。老人だって、笑え。スベッタ話でも憶するな
2012年7月17日火曜日
3連休には見学者が三々五々、みんな明るい顔をしている
2012年7月16日月曜日
大女優・山田五十鈴さんと日本26聖人の映画・14歳の出演

2012年7月15日日曜日
一人、悶々の夜、クスリが効けて、夜中に、黄色になる
本当ですよ。昨夜は、心配しました。一人で、悶々しました。温泉へ行った、3、4日前から、尿の色が、正常でない。濃いビール色になって、ボウコウに違和感がある。夜になって、尿が、赤くなった。血が混じっている。素人でも、わかる。熱は、ない。気分が優れない。土曜日、日曜日、それに明日は、旗日。3連休だ。病院は休診である。病院へは行けない。かす、かす、やわらかい異物は、時々出ている。ピンチを感じる。このまま放っていて、いいのか。わからない。部屋で、一人、ああ、もう、これで、終わりか、と思ったよ。深刻だった。これまで働いてくれた腎臓も、これで終わるか。そこで思いついた。以前、カゼ・クスリで貰った、見るからに効きそうな、カプセルのクスリが、2日分、残っていた。「そうだ、これを飲んでみよう」。夕食の後で、思い切って飲んだ。毒には、ならないだろう。すると夜中の2時頃、尿をコップに取ると、黄色に変わっていた。これには希望が持てた。また、明るい朝が来た。5時半に起きて、共同の祈り、お勤めを果たす。「苦難を、くぐり抜けて、なお、生きる」。今夜、もう1日分のクスリを飲んでみよう。尿がキレイになるやも、知れぬ。そんな日々を送っている。訪ねて来た知人が私の顔色みて言った。「おお、ゲンキそうじゃ、ないか」
2012年7月14日土曜日
食も細くなり、牛肉のテンプラも魅力が薄れてきた。元気だせ
2012年7月13日金曜日
のんびりと時間は過ぎる、オバマ温泉の定宿。何も考えない
オバマ温泉の定宿『富士屋』さんです。私が泊まる部屋は、いつも決まっている。左側、赤い湯の柱から湯気がなびいているが、その後ろの2階の部屋で、カラダもココロも休めている。小さな旅館です。温泉に着いてから、尿の異変に気がついた。困ったものです。出てくるときは、そうでも、なかったのに、尿が、ビール色に変わっている。正常の色では、ない。おまけに、カスも、沢山、出ている。「ああ、まだ、腎臓の中に、こんなカスが溜まっているのか」と思うと、やるせない気持ちになる。尿が、安定していないので、オバマへ出てくるのは、ムリか、とさえ思う。もう少し、尿の色は観察しよう。せっかく来ているので、途中から帰れない。体力、知力の関係は、老人になると、アタマと、カラダのバランスが崩れてくる。アタマは、記憶力の低下はあるものの、まだ、しっかりして、80%は働いている。ところが、カラダは歳を取ると、ある部分が、例えば、ヒザが痛くなるとか、胸が苦しいとか、一箇所、ニ箇所の問題ではなくて、カラダ全体が、まるで、ヨロイを着たように重くなる。手足は痛く、立ち上がれない。カラダの機能は、30%、20%と落ち込む。そのズレに苦しむのが、お年寄りだと思います。定宿に来ると、周りのことは、すべて忘れるのはホントです。ただ祈りだけは、聖務を果たしています。やっぱり、こんな宿に泊まって、活力を溜めるのは、ゼイタクなのでしょうか。
2012年7月12日木曜日
アセと、ナミダの経験が、人のココロを捕らえるのです
学問の持ち合わせも、ない。お金の持ち合わせも、ない。人脈の持ち合わせも、ない私です。修道士だから、この顔で、いいんです。そりゃ修道士でも、山ほど、働く人もいる。私は、ごらんの通り、このカオで、まあ、何とか、生きている。足のムクミはあるが、肩はこらないように、呼吸している。人を感動させるのは、何と思いますか。アタマじゃない、おカネでも、ない。ミエでも、ない。私は、人情ばなし、と思います。オレは、これに弱いよ。いい話は、いい実話は、心に、いつまでも、残ります。ここは、何処だって?オバマ温泉の源泉の場所です。昔はこの辺りで、サムライが、温泉に入っていた。島原のお殿さまは、オバマへ温泉に入りに来て、ここで急死したそうな。かわいそうにね。この庭にも、いろんな人が行き交っていたんですね。しずかな公園でした。温泉宿から散歩で来た。左の建物は温泉資料館。ここに、掛け軸、3点。西郷隆盛、勝海舟、福沢諭吉が、掛かっていた。他に、小曾根乾堂、広瀬淡窓(教科書で名前を覚えていた)なども、あった。誰も番人がいない。田舎なんだね。無用心だよ。これらを見ると、字のうまさよりも、「人は何によって、光るか」。考える。話し方が、うまい。声も、いい。迫力も、ある。だが、いくら立派に、しゃべっても、アセと、ナミダがなければ、人は感心はするが、感動はしない。人のココロを揺さぶるのは、どれだけ苦労したか、イノチの瀬戸際を歩いたか、アセと、ナミダを経験したか、そこから、にじみ出る人のホントの情が、気持ちを捉えるのです。
2012年7月11日水曜日
オバマ温泉へ出かける。3泊4日の予定。まだ梅雨は晴れません
島原半島のオバマ温泉へ出かけます。6月は休みました。久しぶりです。なぜオバマへ行きかと言うと、老いゆくカラダを伸び伸びさせるためです。体力が、やはり落ちている。広い場所へ出て、ウーンと、両手を伸ばして、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。気持ちが新たに成り、ゲンキが湧いてきます。ゆっくりと温泉にも入る。周りを忘れて、心の隔離にもなる。ごちそうは、もう沢山、食べない。まあ、サシミと、牛肉のテンプラは出るかな。オバマに通って、7、8年になります。今年に入って、軽の運転は止めた。軽は車庫に置いたままです。今日、オバマ温泉へ連れて行くのは、個人タクシーの肥喜里(ひきり)政幸さんです。騎士誌の4月号に、「ナヨさんのメダイ」を載せたのが、ご縁になった。以前から約束していた。安全運転で、よろしくお願いします。★10時に出発し、途中、買い物と、昼食の寄り道をして、12時30分に温泉宿に着いた。タクシーは安全で、安心で、乗り心地は最良だった。
2012年7月10日火曜日
なぜか、あの頃の子どもとの生活、学びが懐かしい。憎めない

2012年7月9日月曜日
戦後の混乱を縫い合わせた1つの施設だった。懐かしい

2012年7月8日日曜日
今年は公会議50年。自己の信心も変わったか。見詰める日々
2012年7月7日土曜日
活字は誰が、どこで、読んでいるか、わからない

2012年7月6日金曜日
どう表現するか。コメントが難しい。天の配在だな

2012年7月5日木曜日
原爆の話を3度聞いた。またお願いしたい。できますか?

2012年7月4日水曜日
日記を読んで、騎士誌を購入。嬉しい読者が増えている

2012年7月3日火曜日
神戸の尼さん。やあ、お元気で。パワーをください。ハイ

2012年7月2日月曜日
老人の顔だな。やっぱり、肌が、カサカサだよ
2012年7月1日日曜日
見事なマンゴーが届く。何も、尽くしていないのに、カンシャ
登録:
投稿 (Atom)