2013年3月7日木曜日

島原へ行ったら、具雑煮を食べる。悲しい食の物語。おいしい

「島原の乱」といえば、1600年代にさかのぼる。立てこもった城のなかで、食べるものが少なくなる。お餅を入れて、チカラが出るように、それに多くの野菜をぶち込んで、グツグツと煮て、かろうじて飢えをしのいだ。それを具雑煮と呼んだ。姫松屋が代々受け継いで、今に伝えるという。「ああ、そうですか、そうですか」と言いつつ、悲しいやら、哀れやら、そんな思いをしながら、食べました。餅のほかに、12種類の具が入っていた。「島原に来たら、これを食べなければね」。姫松屋は、ちょうど昼飯どきで、お客で賑わっていた。これで、980円。イナリは1個、40円。島原の思い出が出来た。「群集のなかで、死んだヒトたちは、ほんとうに可哀想だね。長いものに、飲まれるのは、よくないが、ニンゲンって、弱い存在だからね。度等を組まなければ、生きては、いけない。歴史が悲しみを物語っている」


2013年3月6日水曜日

島原城の展示室に、輝く金の十字架がある。価値ある遺品

お城にあらわれた忍者たち。お似合いと言うか、奇怪と言うか、拙者に「看板の旗を持て」と強いる。「なんの旗やら、わからない」。拙者の隣の男性は、運転をして、ここに連れて来てくれた藤下先生。山の学校の時代の教頭先生。親しい交流はつづいている。「のどかだなあ。すっかり春になった感じだよ」。でも中国からの、2・5の空気の汚染がひどい日だった。島原城の入口です。この城の展示場に、お殿さまが、宣教師からもらった「金の十字架」が展示されて、必見にあたいする。農家の人が畑を耕していたら、発見したと話題になったが、「ほんとかな、そう思います。あんまり出来すぎている。よくぞ、見つかったと思いますよ」

2013年3月5日火曜日

島原のお城に出かけました。梅は、もう、オシマイだね

リッパナお城でしょう。長崎では珍しい、島原のお城です。天草四郎が立てこもった城では、ありません。四郎の城は、もっと南の、原城といいます。ここは島原のお殿さまのお城です。ちょうど梅が終わろうとしていました。手前は「梅園」になっているのです。島原は、雲仙・普賢岳のふもとに広がる裾野にあって、とても日当たりがよく、農業に適した場所になっています。のどかな都市です。お城の近くには、カトリック教会もあります。春の風を、胸いっぱいに吸い込みたい。さて、次は何をすべきか、考えよう。新しい自分を見つけたいと思います。こんな事が、自分にも出来るのか。こんな世界もあるのか。新しい風にもまれたいと思います。

2013年3月4日月曜日

島原半島のオバマ温泉へ。2泊3日。ストレス解消する

朝から、島原半島・オバマ温泉へ出かけます。途中で、知り合いの教会・幼稚園に寄りました。ポーランド人の神父さんと仲良しです。いっしょに昼食を食べました。定宿・富士屋さんに、泊まります。1人で、湯に入ると、心がなごみます。ストレス解消になっている。顔も何だか、明るく輝きます。歳なんか、忘れるよ。イヤなことも、心配なことも、忘れるよ。アシタは、アシタの風が吹く。イヤ、イヤ、最近は、空がかすんで、困るよ。空も、明るくなーれ。「世の中には、赤ちゃんのときに亡くなる人も居る。100歳まで生きる人もいる。しかし、愛された、愛した、感謝されている、この3つがあれば、その人の人生は満足です、と思います。

2013年3月3日日曜日

聖ヨゼフの月には、カシアノ修道士は忘れない。隠れた聖者

「3月は、聖ヨゼフの月。聖ヨゼフといえば、聖母の騎士のカシアノ・テティヒ修道士さんですね。もう1度、写真を見せて下さい」との願いがあった。炊事場で働くカシアノさんです。ポーランドで聖母の騎士に入会したときから、炊事場係りだった。コルベ神父さまを慕って、長崎へ来てからも、炊事場係り。亡くなるときも、炊事場のかかりだった。体が不具合だったが、修道者たちの夕べの料理を作って、その後、自室にこもって、ベッドへ横になり、聖ヨゼフに祈って、守られつつ、安らかに、本当に聖ヨゼフの如くに、神に召された。最後まで、炊事場のお勤めを果たして、務めを終わって、亡くなった。このような恵まれた死があるだろうか。カシアノ修道士さんから貰った手紙です。カシアノさんの信心、優しさ、熱心さ、生涯を貫く心、それらを忘れない。修道士カシアノさんの姿は、修道士の模範といえる。隠れた聖人、こんな人も居るんだな。人間には希望が持てる。


2013年3月2日土曜日

誕生日の夜はコウフンして、寝つきがよくない。目覚め、ダメ

昨日は、85歳の誕生日で、幾つもの感動がありました。①朝ミサのとき、「トマさんのため祈りましょう」と言われる。②昼は、知人のお宅で、バースデイ・ケイキで、お祝いがある。③夕食は、院で、キビナゴのサシミ、餃子、お寿司で、お祝いがあった。やれやれと、夜は、早めに自室で休んでいたら、めずらしく夜に電話がある。「大阪の、田川幸一です」「おお、幸一君、久しぶり。何年生?」「高1になります」「高校生か」「今度の春休みに、長崎に来ます」「え、え?長崎に来るの?それは良かった。待っているぞ」。④同姓同名の「田川幸一が来る」って聞いて、興奮は高まった。「どこへ案内しよう、口之津のイルカ・ウオッチングか、ハウステンボスか」と考えていたら、とうとう寝はぐれてしまった。事もあろうに、今朝は、30分も、寝過ごしてしまった。あわてて、支度をして、共同の祈りには、間に合った。★大阪の田川幸一君は、名前が同じの少年です。2006年のある日、お母さんがネットで調べていたら、修道士の名前に行き当たって、喜んだ。早速、家族で、訪ねて来たのが、2006年4月1日でした。右は、そのときの写真です。それ以来、交流が続いている。その年の夏には、大阪のお宅を訪問した。その後、幸一君は、2008年夏に単身で長崎へ来た。年月は早いもんだね。あれから中学生を終わって、高校生になったという。3月は楽しみが出来たぞ。今朝は聖コルベ館へ出ると、電話をかけて、旅のアドバイスをした。幸一と、幸一、また握手できるかな。

2013年3月1日金曜日

3月、3つのお知らせ。困難にも希望を持って祈りましょう

今朝、ミサのとき、2人の司祭、6人の修道士が居ました。司式の神父さんは、祈りのなかで、次の3つの話をした。①今日は、トマさんの誕生日です。彼の務めの上に、助けを祈りましょう。②3月は、聖ヨゼフの月になっています。カシアノ修道士さんの著書によれば、聖母の騎士修道院は、戦争のとき、大きな困難があった。聖ヨゼフへの取次ぎによって、見事にお恵みをいただいた。聖ヨゼフの月の務めを果たしましょう。③ベネジクト16世教皇さまは、引退なされた。600年ぶりの出来事です。3月に入って、2週間のうちに新しい教皇さまが選出される。お祈りしましょう。現代も、困難が多い時代になっている。★この聖ヨゼフのご絵は、コルベ神父が日本へ持参した美しい聖絵です。聖コルベ館の資料室に掲げられている。大きな額に入っている。大切にしています。★さて、トマの誕生日に、祈ってくれてありがとう。次に、聖ヨゼフの月だが、戦争中の聖母の騎士の雰囲気、食料不足、軍部の圧力、修道士たちへの締め付け、など実際のご苦労を良く知っている。大変な苦しみでした。その苦難から、抜け出して、戦後は発展を遂げることになった。「苦しみの後に、恵みが来ます。汝、今は知らなくても、後で必ず喜びに変わるであろう、そのように希望を持ちたいものです」。日記を読んでくださる皆さん、何か困難があれば、聖ヨゼフさまに、取次ぎのお祈りを捧げるようにお勧めします。必ずお恵みがあるでしょう。★昼ごはんは、知人のマンションに招かれ、6人が集まり、バースデイ・ケーキを食べました。ワインは、赤と白、2本を飲んで、喜びました。戦争生まれは、女性もゲンキがいいですね。「紀元は2千6百年」を歌いました。楽しい1日でした。