ある日の、廊下の窓から見える風景です。「夏だ、なあ」。平凡だが、そんな感じがします。いま私の手元に、薄い手帳がある。1954年、昭和29年、古い手帳です。いま8月だから、8月16日の処を開けてみた。ミロハナ神父と語る、と冒頭に書いてある。
★ミロハナ神父は語る。「苦しみが是非とも必要な論理的なわけを教えましょう。
★①天主様(その頃、神を、こう呼んだ)は正義です。罪を人々は楽しみによって犯し、天主様を侮辱する。それ故に、どうしても罪のつぐないのためには、楽しみの反対の苦しみによって補わなければならない。
★②罪びとは、自分の力で改心し得ない。「祈りたくない」「祈りたい」の心を与えるもの、それは恩寵です。この恩寵は他人の苦しみによって与えられる。私たちは苦しみの価値を知るよう祈らなければならない。
★③聖母に次のような恵みを祈ったらどうですか。すべて御身の御思召です。しかし長く生きながらえて多くの病苦を忍んで、十字架のキリスト様のようになって死ぬ。今の生活ではダメです。もっと、もっと、大きな苦しみを忍んで、死ぬ。この恵みです。
★④私たちは、ここで、かわいそうな人々を集めて、(心身障害者施設を創設した)彼らにイエズス様のことを聞かせて、子羊の如き平和な心を与えたい。
★⑤あなたが書いた原稿は、初めは苦しみを述べたものでしたが、後になって、苦しみを耐え忍びたいと書いてあった。よいことでした。これからも原稿を書いてください。ただ、御思召のままによいうことでね。人に説教するのは、これダメですよ。
★ミロハナ神父は、神学生のときに、コルベ神父から勧められ、ポーランドから長崎へ来た。コルベ神父から哲学・神学を教えられて、東京で、司祭に叙階された。コルベ神父に最も近く、神父から聖母の騎士を任されたと、信念を持って生涯に生かした。ミロハナ神父の、誰でも抱擁する心の優しさに魅力を感じる。
★ミロハナ神父が懐かしい。いま、このような話を直接聞かせてくれる司祭はいない。
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返信削除コルベ神父様 ゼノ修道士様 ミロハナ神父様
返信削除ありがとうございます。