昨日、長崎まで出かける。疲れたのか、夕方、からだが、ホテって、いた。微熱がある。夕食後、教会の「晩の祈り」と「寝る前の祈り」を唱えて、当日・読書の聖書の箇所を読んで、7時には、早めにベッドに寝た。
★今朝、熱を計ると、平熱だった。安心する。ホームの人から「大丈夫ですか?」と声をかけられるのは、あまり好きではない。教会へ行き、6時の主日のミサで祈った。「復活節は、アレルヤ。喜びの時です。喜びを他の人にも、分かち合いましょう」。そのような気持ちが、心にひびいた。
★午前中は、自室で静かにしており、テレビ(録画)で、アウシュヴィッツを生きのびた、当時、15歳、今は86歳の女性の体験談を見聞きした。父と兄が殺され、母と自分は生き残った。アウシュヴィッツがどれ程、悲惨な場所であったか。私も10回訪問しているので、知っている。テレビの発言で、心にひびいたのは、次の言葉だった。
★兄は、「死ぬこと」を怖がっていた。兄が12歳のときに、父に聞いた。「死んだ後は、どうなるの?」。父は、答えた。「子どもを授かれば、子どもの中に生きつづけるよ」。兄は、こう聞き返した。「もし、子どもが出来る前に、死んじゃったら?」。父は、少し考えてから、「たとえ『短い命』であっても、何かの足跡を残せば、誰かが覚えてくれるさ」と、答えたという。
★私は、女性の話を痛む心で聞いた。老いて初めて語り部を始めたという。ある時、若者から、「信仰は、アウシュヴィッツにいる間、支えになったか」と聞かれた。女性は、「神はいませんでした。私は無神論者になった。神を信じるどころか、全ての人間さえ信じられなかった。多くの人が、「神があなたを助けた」と言うけど、「なぜ、私を?」。兄は私より、ずっと価値ある人間でした。なぜ神は、私を救い、兄を救わなかったのか?わたしが生き延びたのは、「単なる偶然だった」と思います。「神がわたしを守った」とは思はない。フェアでないからです。
★被爆者の私には、反発する気持ちには、ならなかった。何やら、複雑な、心情に重いものを感じた。それでも、アウシュヴィッツでも、神を信じる人がいた。考えられぬ敵に、温かい眼差しを向ける人も現実にいた。それでも、女性の苦難、悲しみ、不信が痛いほど、わかる。
★女性は最後に、こう言った。「父は私の両手を握って、神さまがお前を守ってくれる、と。信仰深くない父親が、そんな言葉を口にしたのは、おどろきでした。神さまに、すがるしか、なかったのよ。
アウシュウ”イッツの関連本やTVを視聴するたび、神様の存在が霞みます。カトリック信者ではありますが、神のご意思は何処にといつも感じています。平和の中に神は感じやすいですが、長きに渡っての執拗なまでの残虐な日々、神の御顔が見えにくくてなりません。
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