長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年3月15日金曜日
出会いは喜びに変わった。広島の夫妻が吹いた音色。樹音
広島から見学に来た夫妻の物語。歳は50代の後半であろうか。熱心に、資料を見ていた。ダンナさんが「小崎さんですか?」と聞く。「そうです、どうして?」「長崎へ来る前に、この本を勧められた」と、『長崎オラショの旅』を見せた。ピンときたので、黒いソファーに招いた。女性が話し始めた。「若い頃、悩みがあって、傷心の胸を抱いて、長崎へきて、五島へ渡った。堂崎天主堂を見学して、1泊する。翌朝、ジェット便で、上五島へ向かおうと、船の乗場へ着いた。ギリギリの時間で、待合室は満席で、1つだけ席があいていた。そこへ座った。隣に、シスターがいた。女性は問うた。「シスターになるには、年令に制限があるのですか?」。答える間もなく、乗船となった。シスターが直ぐに、船内の席の番号を教えて、「よかったら、ここへ」と言った。女性はシスターの傍に行った。そのとき、ロザリオを下さったという。「ロザリオは今でも大切に持っています」。女性は道を求めて、キリスト信者になった。隣の男性もキリスト信者であった。教会は違うという。お互いに知り合って、結婚した。旅行で、長野県・信州・蓼科(たてしな)へ行った時、観光地の売店で、「いつくしみ・ふかき・友なる・イエスは」の音楽が流れていた。「あの音楽は、何ですか?」。それが、樹音(じゅ・ね)だった。クルミや、カリンの木を、手のひら程の大きさで、中をくりぬいて、前に4つ、後ろに2つの穴をあけている。上の細くした部分から吹くと、音が出る。これは5、6年前に、長野の原村に住まわれる安川誠さんが考案したもので、その音色に魅せられた。以来、夫妻で吹いている。「聞かせてください」とお願いすると、ごらんのように吹き始めた。聖歌や、唱歌を吹くという。音色を聞きつつ、落ち着いた、幸せな夫妻を感じた。「長崎へ来た理由は、シスターにお礼を言うためです」。シスターは今、長崎市内にいて、年賀状に、春には五島へ移ると書いてあったので、訪ねて来た。「会いました?」「ハイ」「ロザリオ、見せました?」「見せました」「よかったですね」。そして次に言った言葉が修道士の胸に、イッシュン、ヒラメキを与えた。「大切なものを、わからない者にくださった」と。そーだよ。神さまは、大切なものを、わからない私たちに、おろかな私たちに、くださった。これこそが信仰の基本ではないか、と。「いま、心に浮かぶ、大切な言葉は何ですか」「夢の中で聞いた言葉、神を第1に、神の国とその義を求めよ」。夫妻はシスターからもらったという新聞紙に包んだ大きな十字架を抱いて、去った。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
広島のご夫妻の知人です。
返信削除本当に温かい、優しいご夫妻です。
クリスチャンになられた経緯、初めて知りました。すてきな人にはすてきな出会いがあるんですね。
修道士さまにもお会いしたいです!!